母さんの事は嫌いだった
でも…


「父さん…?」

虎鉄の心配そうな問いかけに、だが鉄志は俯いたまま顔を上げる事が出来ずにいた。
何しろ皿洗いを手伝おうとして食器を台所に運ぶ途中の虎鉄に見事激突し、皿という皿全てを割ってしまったのだ。 へこまない父親はそうはいまい。

今さら父親らしい事を急にしようとしても、上手くいく訳が無いのだ。 それを文字通り痛いほど痛感していた。
そうだ…今さら虎鉄だって父親の事など…

「父さん、今日お休みなんですよね?」
「…あ、あぁ」

下を向いたまま、何とか返事のみはした。

「じゃあ、これからちょっと出かけませんか? 自分、父さんと行きたい所があるんです」

「…父さんと…行きたい…?」

鉄志の顔に笑顔が戻り、パッと息子の顔を見上げると何やら不敵な笑みをこぼしていた。

「?」
「さて、出かけるならちょっと体をいじりますよ〜!?」

バッと虎鉄が襲い掛かる!!

「ちょっ! な、何だ…虎鉄!!? そ、そんな所を何故縛るのだ!!? 毛、

毛が絡まって痛いではないか…!!!


「どうです、父さん? 全然ばれないでしょう?」


「か、顔がモロ出しではないか…サングラスとかしなくて良いのか?」

隣町の駅に降りて数分、無理矢理縛られた後ろ髪を気にしながら鉄志が疑問を投げかけると

「そういう小細工がかえってばれるんですよ。 そもそも他の人から見て虎獣人の違いなんて大して見分けが付かないんですし、それに…」
「…?」
「自分と父さん、そっくりだそうですからね。 二人で歩いてれば『石蔵鉄志にそっくりな二人が歩いている、やっぱり虎獣人は見分けが付かない』ってなるんですよ」
「そ、そんなものかな…」

軽い返事をしたが、鉄志はその些細な一言がとても嬉しかった

父さんと自分がそっくり


…手を  繋ぎたいな…


一緒に歩きながら、息子の手を見る。 
親子で手を繋いで歩きたかった。 父親の手の暖かさを息子に伝えたかった。
息子に、ただ好きになってもらいたかった。

だが、息子の手を握ろうと伸ばした手は、決して息子の手に届く事は無かった。

そんな事をされても、嫌がられるだけだ。
虎鉄はもう34歳だ。 立派過ぎる程の大人だ。 息子が貸してくれた服の大きさが、鉄志に否応無くその事を実感させる。

喜ばれる筈が無い…

「父さん?」

…! いかん! 折角息子と一緒にいるのに、ろくな会話もせずに落ち込んでいてどうする!!? トークだ!! 小粋なトークで虎鉄を楽しませてやらねば!!!

ここは、必殺のジョークを!!!!!

「着きましたよ?」

あぁ…、もう!!!!!

自分の間の悪さに絶望しつつ、鉄志は息子の指差す先を見る。
百貨店らしき大きな建物、その屋上に何やらとんでもないものが乗っかっていた。

「…観覧車?」

「いやぁ、これが出来た時にはもう驚きでしたよ! どれだけ遠くを眺めることが出来るのか、一度乗ってみたかったんですけど、ホラ、年が年でしょう? お友達を誘おうにも皆さん恥ずかしいでしょうし」

やはり何もわかっていない虎鉄くん。 君が誘えば皆喜んで乗ったろうに(笑)

「それに、やっぱり父さんと乗ってみたかったんですよね。 そんな機会絶対来ないと思ってたのに」

屋上に向かう間、変なテンションになった虎鉄はずっと楽しそうに話している。

「…うれしいなぁ」

鉄志は、少し唖然としていた。
息子が…本気で喜んでくれてる

屋上に着くと、流石に平日の午前中だからか、人っ子一人いなかった。
だが観覧車の入口に立っている係員の女性は、暇そうなそぶりを見せることなく、二人に気が付くと優しそうな笑顔を見せて迎えてくれた。

「見てください、父さん!! 『親子チケット』なんてありますよ! すみません! これ、自分と父さんでも使えますか!!?」

すっかりはしゃいだ虎鉄の問いかけに少し驚いた顔を見せたが、女性は嬉しそうに微笑むと大丈夫ですよ、と答えてくれた。

優しそうなお嬢さんだな…。
鉄志はついつい女性をじっと見てしまう。 
可愛いと綺麗の中間かな…虎鉄のお嫁さんはこういう女性だったら良いのだがなぁ

ゴンドラに乗り込んでからも暫くそのお嬢さんに手を振っている虎鉄。 「可愛いですねぇ」と小さくつぶやくのを聞いて、鉄志はつい嬉しくなってしまった。

「ああいう子が好みなのか? なんなら私が女性とのお付き合いの手ほどきを…」
「あ、いや、可愛いとは思うんですけど…自分、女性に性的興奮をおぼえないので」
「! …そ、そうか…」


鉄志パパ、実はにろさんから事前にとんでもない情報を与えられていた。
虎鉄の周りの男達は、虎鉄に惚れているという事実、そして

虎鉄は同性愛者かもしれないと…

それを聞いた時、相当なショックを受けたが、隼人君は静かに
「義兄さんは、孫が欲しいんですか?」
そう、訊いてきた。

「俺は、虎鉄が好きです。 心から愛しています。 だから、虎鉄さえ幸せになってくれるのなら相手が男性だろうと構いません。 義兄さんは、どうですか?」
「わ、私は…」


「すいません、父さん。 ショックでしたか…?」
「…いや、私も…お前が幸せなら、相手が男性でも構わないよ」

若干会話がかみ合っていないものの、虎鉄は顔を赤くして、にっこりと微笑んだ。

「…父さんに話して良かった」
そう小さくつぶやくと、窓の外の景色に気付き、歓声を上げた。

「見てください父さん!! ホラ! 星見町が見渡せますよ!!!」

息子のつぶやきに顔を真っ赤にして喜んでいた父も、一緒に外に視線を向け、

その景色に心を奪われた

遠くに見える星見町は、濃淡の緑に包まれた美しい町であった。
温かい日差しと空を泳ぐ雲の影、そのコントラストが緑の上を流れていく様が、何とも長閑(のどか)に見えた。

「自分は」

静かに外を眺めながら、息子が話し始めた。

「自分は、あの町が大好きです。 静かで、温かくて、優しくて、何だかのんびりしてて」

父も静かに聞いている。

「自分は、ずっとあそこに住んでいるつもりです。 仕事での転勤も無いですしね。 だから」

…?

「だから父さんも、お休みが取れたり、仕事に少し疲れちゃったときは、いつでもあそこに、うちに来てくださいね。 自分、いつだって歓迎しますから! ね、父さん?」

鉄志は、息子の顔が見られなくなった。
そのまま俯き、席に座ってしまう

「父さん…?」
「私は…そんな事をお前に言ってもらえる様な資格は無い…」

声が震えている。 見ると瞳から涙を流していた

「私は…家庭を壊してしまった…お前から…全てを奪ってしまった」
「とうさ…」
「何を今さら…笑ってしまうな。 本当に、ずっと何もしてこなかった分際で…何を…今さら…」

体が震えている。 足元の床には、パタパタと透明な水滴が零れ落ちている

「ごめんな…虎鉄…私は…」
「父さん、自分は…」

そう言いかけて、虎鉄は少し微笑むと首を横に振った。

「俺は、父さんの事…ずっと好きだったよ」

……え…?
父が涙を流したまま顔を上げると、息子は優しく微笑んでいた

「俺、子供の頃から、それに今も、父さんの事…大好きだよ」

「…わ、私は…ずっと家に帰らず…お前達に寂しい思いを…」
「俺さ、あの人…母さんに内緒で、子供の頃からずっと父さんの出てる映画のビデオ、買ってたんだ」

……?

「家には居なくても、俺は寂しくなんて無かったよ。 だって父さんは、いつだってテレビの中にいて、強くて、格好良くて、俺の…憧れだった」
「こて…」
「俺が生まれる前の映画も見た。 演技が…違ってた。 父さん、俺らの為に、凄い頑張ってくれてたでしょ…?」

父の顔は、涙でびしょ濡れになっていた

「母さんには通じなかったかもだけどさ、俺はわかってたよ。 父さんが、俺達を愛してくれてたって」

そう言うと、虎鉄は父の頭と自分の頭の両方のバンダナを静かに外した。
そして、自分の額の縞々を、父の額の縞々に強く擦りつけた。

…! …虎鉄……」

それは、虎獣人の、特に「獣寄り」の虎獣人が行う「愛情表現」であった。
「愛してる」なんて言葉では到底表現できない、心からの「愛」の証。
何度も何度も、息子は父の額に自分の額を擦りつけた。

父は、ますます涙を流しながら、それでも笑って自分からも額を擦りつけ始めた。
そして少し顔を離すと、頬の縞も息子の頬の縞に擦りつけた。

父親が息子にする特別な「愛情表現」。 そして、息子の口と鼻をぺロッと舐めた。
深い 深い  「愛してる」

虎鉄は少し驚いたが、嬉しくなって

同じように、父の口元を舐めた

二人は夢中で愛し合った
今まで肌を重ねる事の出来なかった数十年分、何度も何度も口を舐めあった。
お互いの温もりを、伝え、確かめ合った。


ふと、自分達に注がれる視線に気付いて横を向くと

顔を真っ赤にした係員の彼女がゴンドラの中を見ていた。

そのまま横へと消えていく彼女…
どうやら一周してしまい、降りねばならないはずだったが、彼女は声を掛けられなかったらしい

当たり前である(笑)

「あの子から見て、自分達ってどう映ったでしょうね…?」

考えるまでも無い。 親子で密室でイチャイチャチューチューしていた様にしか見えまい…
二人は視線を合わせ、顔を真赤に俯き、そして同時に笑った。

それからもう一周、どちらがどちらの匂いかわからなくなる程、肌を合わせ、愛し合った。


結果、ゴンドラを降りる時、3人とも顔を真っ赤にした事は言うまでも無いだろう。


鉄志は思う



あのお嬢さんの目に



私達親子は



どう映ったろう


後日談ー

新郷家では、ちょっと不思議な出来事が起こっていた。
仕事から帰って来た新郷中佐が、そのままテレビドラマを見ていたのだ。 しかもリアルではなく、わざわざ録画予約していったらしい。

いつもなら居間に入ってきた風呂上がりの妹に気付き、テレビを見ていても耳だけはそちらを向くのだが、今は完全にテレビに夢中になっているようだ。 耳も前を向きっぱなしである。

「お帰り、お兄ちゃん」

小声で妹が声を掛けると、やっと気付いたらしく、兄・新郷 真樹(まさき)は一時停止ボタンをピッと押した。

「あ、あぁ…ただいま、美咲(みさき)」
「珍しいね、お兄ちゃんがテレビドラマなんて」

いつもは時代劇しか見ない兄が、ちょっと照れくさそうにしながらテレビ画面を見る

「石蔵鉄志が出てる…」
「…うそ! テレビドラマに? え、それってどうなの…面白い…?」

ちょっと微妙な気がする…。 時代劇映画でしか見かけない大物俳優だ。 
このドラマ、どうやら「探偵物」らしい。 ミスキャストにしか思えないのだが…

「正直…凄い面白い」

兄は真剣な顔をして巻き戻しボタンを押して再生した。

「石蔵鉄志な、いつもどお〜りの演技なんだよ。 でもそれがボケになってる。 新人の助手に『時代劇ですか!?』とか突っ込まれまくってるし、いつもどおり抜いた日本刀も『銃刀法違反です!』って没収されてハリセンに持ち替えさせられた」
「…よく受けたね、石蔵さん…この仕事」

現在画面の中では、石蔵鉄志がハリセンで無駄に格好いい殺陣を演じていた。 思わず美咲も笑ってしまった。

「…? 何で『さん』付けなんだ? 知り合いでもあるまいし」
「え? うん、ちょっとね…」

そう誤魔化しながら、画面の中の彼を見る。

「怖かったろう、もう大丈夫だ」

そう言いながら、泣きじゃくる少年に優しく微笑む彼。

「笑うんだなぁ…石蔵鉄志って」

そう言う兄の横で、それがあの日観覧車で見せた「お父さんの笑顔」である事を一人知っている事に、思わず微笑んでしまう。

「お父さんか…」
「…何?」
「ね、今度のお休み、お父さんとお母さんのお墓参り行こうか?」
「? 何だよ、急に。 何かあったのか?」

「ううん」



「何となく(笑)」


おしまい


←戻る

inserted by FC2 system