お父さんといっしょ


すぅっと、目が覚めた。

この様な静かな、心地の良い覚醒は久方ぶり、いや、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。

鉄志は、目を開き、静かに部屋の天井を見ていた。

極度の低血圧の彼は、朝がとにかく弱い。
仕事に一度も遅刻した事が無く、かつ早朝から凛とした表情で仕事に臨めるのは、偏(ひとえ)に枕の周りに置かれた二桁に達する数の目覚まし時計と、彼のマネージャーによる熱烈なモーニングコールのおかげである。 彼が朝に弱い事は、仕事関係者ではマネージャーくらいしか知る者はいない。

たまの休日は泥の様に眠る。 目を覚ますと大抵が夕方か夜で、それでもうっすらとしか覚醒せず、ボーっとしたまま1日を過ごす。

だが、今のこの部屋の明るさといったらどうだろう。 カーテンの隙間から差し込み直線状に部屋を照らす暖かな光。 昼、いや、むしろ朝に近い時間帯では無いだろうか…?

信じられないほど、心地良い

布団に顔を埋め、目から上だけを出す。 この布団が、そしてその匂いが、何とも言えず落ち着く。 いや、布団だけではない。 枕も、敷布も、部屋全体がまるで自分の部屋のように優しい臭いに包まれていた。

そう、ここは自分の部屋ではない。 
天井が違う。

頭の周りにも時計が無い。 心地良い匂いに包まれながら、静かに深呼吸する。

そこでようやく記憶が戻った。 多分、隼人君の部屋だ…。

昨日、節分豆撒き大会に参加したものの、結局息子とは大して話す事ができず、隼人君に連れられて彼の部屋で酒を飲んだのだった。
…情けない姿を見せてしまったな。 
随分と愚痴をこぼしたように思う。 しかも途中から全く記憶が無い。 どうやらそのまま寝てしまったらしい。 彼のベッドを占拠して…。

…! という事は、私は隼人君の匂いでモフモフしてしまったのか…

死ぬほど恥ずかしくなり、布団を出た。
シャッとカーテンを開け、明るくなった部屋を見渡す。

白と黒にまとめられた落ち着いた印象の調度品やカーテン。 しかし、そこかしこにロボットのおもちゃが飾られている。 これはかなり意外だ。
自分のブリーフ一丁の姿に気付くが、脱いだ服が見当たらない。
クローゼットにでも仕舞ってくれたのだろうか。 しかし、勝手に開けるのは流石に失礼だ。

寝室を出て、とにかく謝ろうとドアノブに手を掛けた時、ようやく自分が心地良く目覚めた理由がわかった。

鼻をくすぐる、暖かな食事の香り。 そして、微かに耳に届く、一定のリズムを刻む包丁の音。
それは、胸が熱くなるほど鉄志が欲しかった、

家庭の朝、家族の朝そのものであった。

ドアを開け、匂いのする方へと向かう。
人影が視界に入り、鉄志はポリポリと恥ずかしそうに頬をかきながら声を掛けようとした。

「はや…」



「あ、おはよう。 父さん。」



「…ぎ…」





「ギャァアアアアアアアアス!!!!!」


「短編 お父さんといっしょ」


バシャバシャと顔を洗い、虎鉄が用意してくれたタオルに埋めた視線を上げると、鏡の中には何とも情けない男の顔が映っていた。

困り果てた、どうすれば良いのかサッパリわからず途方に暮れた、俳優 石蔵鉄志の顔。

両手で顔をバシンと叩くと、キッと我が目を見据えた。

「(これは、隼人君がくれたチャンスではないか! 多少強引ではあるが、それでもこんな機会、滅多にあるものではない…! 
朝食の席だ! そこで虎鉄の心をしっかりと掴み、親子の絆を取り戻すのだ…!)」


再びパンパンッと顔を叩いて気合を入れると、バスルームを出て朝食の席に着いた。

「いただきまーす」

虎鉄が手を合わせてそう言うと、鉄志は意を決した。

「いやぁ、昨日は驚きましたよ。 いきなりにろさんに担がれた父さんが…」

「虎鉄!!」

「…? な、何ですか…?」



・・・・・・・・・

「ど、どうかしたんですか、父さん…?」

「何でもないです…」

消え入りそうな声で鉄志が言った。

馬鹿か!!? 馬鹿か!!!?
何をやってるんだ、私は!!! 
朝食の席だぞ!!? 手品やってどうする!!! 手品をやってどうする!!!!!
食事だよ!!! 食事の事で会話を広げるべき所であろうが!!!!!(怒)

キッと鋭い目で汁物の入ったおわんを見据える!

「(…?)」

父の不可思議な行動に呆然とする息子を尻目に、父はその中身を静かに口に含む!

「うむ! お吸い物か!! 朝食の定番といえば味噌汁だが、そこへあえてお吸い物を持ってきた心意気や良し!!! 透明に澄んだ汁、しっかりとしたダシの味わい!」
「すいません…丁度お味噌切らしちゃってて…。 それ、お寿司に付いてた即席のヤツです…」

(あぁ……)

「だっ…こ、この厚焼き玉子はどうだ!? こんなに綺麗に作れるものなんだなぁ! すごいぞ、虎鉄! どれ…ウン! 美味い!!! ほのかな甘み、中心部の柔らかさ! 見事な…」
「…それ、隣町のデパートでやってた物産展で買ってきたヤツです…。 すいません、自分で作った方が良かったですか…?」

(あぁ………!)

多分これ、結構な値段がするヤツだ…それをわざわざ父に出してくれたというのに…!
駄目だ! 全てが裏目に出る!! 他の品は…
焼き魚もサラダも、今ひとつ褒めどころがピンと来ない!

やはりここは、向き合って座る二人の中央に鎮座する、大きなグラタンに行くべきであろう!!!
手の込んだ料理のようだし、褒め所など星の数ほど散りばめられてあろう!!

鉄志が箸を入れようとすると

「あ、それ箸じゃ取りにくいですよ。 ちょっと待ってくださいね」

そう言うと、大きなスプーンで四角く切り、それを小さな皿にもって「はい」と手渡してくれた。
その細やかな心遣いに胸が熱くなる。

だが、それとは逆に頭はかなり混乱していた。

どうやら「ラザニア」というものらしい。 断面が「層」になっている。
確かミートソースと薄いパスタを交互に重ね,最後にホワイトソースを乗せて焼く料理だ。 知っているぞそのくらい! おじさん甘く見ないでくれるかな!!?←誰に言ってるの?

しかし、これはどういうことか…?

明らかに「ごはんの層」が見える…。 あと「肉?の層」らしきものも…。
そして、微かに香る「焼肉のタレ」の香り…「焼肉の層」…?

えぇい! 迷っていた所で事態は好転なぞせぬわ!!!

バクッ!

やばい…どうしよう…

あまり美味しくない…

バカな! どうしてその様な事が言えよう!!!
息子が! 最愛の一人息子が!! 父の為に丹精込めて作ってくれた食事に!!!

言えるか!? 否!!!

断じて否!!!!

「ウン、なかなかいけるものだな…! 洋食はあまり得意ではないのだが、ウン!」
「本当ですか!? じゃあ自分も…」

パクッ

「…あまり美味しくないですね…」

「!!!!!」

「父さんどれくらい食べるかわからなかったので、有り合わせで一品作ってみたんですけど…。 何か、気を遣わせちゃって…スイマセン…」

(あぁああああああああ…………)

あらゆる行動が常に裏目に出る男、鉄志の運命や如何に!


続く→

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