○虎鉄物語○
店長は、自分の事をあまり語らない。 気を遣われたくないからである。
だから、その秘密の行動を知るものもいない。
厳密に言えば、『知る者はいない』と店長が思っているだけで、実はここに例外がいる。
常に陰ながら店長を見守っている人物、ナギである。
だがそんなナギも、店長の過去までは知らない。
そう、それは、誰にも語られる事の無い―
店長のものがたり。
<虎鉄 18歳>
標先商科大学(しべさきしょうかだいがく)。 近郊県内ではレベルも就職率もトップのこの大学に合格しながらも、虎鉄は高校時代にも増してやさぐれていた。
仕事に追われ、一切家庭に関与できていなかった父から親権を無理矢理奪い取り、会う事をも一切禁じた母が、虎鉄の高校卒業とほぼ同時にあっさり再婚を決め、虎鉄を放逐したからである。
授業料はなんとかしてくれるらしいが、毎月の仕送りはほぼ期待できない。
かくして虎鉄は、通学の為引っ越してきたここ、星見町でバイトを始めたのだが……
「おぉーい、大河原君!」
「あ? 何すか……?」
上下関係、いや、そもそも仕事というものに決定的に向いていなかった。
ムスッとした顔のまま虎鉄が振り向くと、でかい顔が目の前にあった。
「何すかは敬語じゃない、正しくは『何ですか』だ!」
「ゼロ距離はやめてくれって言ってんだろ!! 二口(ふたぐち)店長!!!」
185センチの身長を誇る虎鉄を悠々と見下ろすのは、2メートルオーバーの『鬼種(きしゅ)』、全国展開している書店『順風堂』星見店店長、二口店長である。
虎鉄はこの店長が圧倒的に苦手であった。 本を読むのが好きな虎鉄は、書店ならそれなりに仕事ができるだろうと思っていたのだが、入って1週間、言われる事といえば必ず『敬語』である。
「いい加減にしてくれよ……! 敬語なんざ、それなりにできりゃ問題ねぇだろ!? 接客で重要なのって笑顔とかじゃねぇのかよ!?」
「お前はそれも出来ていないがな」
グムッ
「だから……! それを練習とか指導とかしろって言ってんだよ!!」
はぁ、と店長は溜息をつくと、周りを見回す。
虎鉄は現在、事務所でのみ仕事をしている。 売り場に出せるような状態ではないからだ。
周りには誰も居ない、先程まで仕事をしていた者達も、不穏な空気を感じたのか、事務所から出て行ったようだ。
「なぁ、虎鉄……」
二人きりの時は、何故か名前で呼ばれた。 これも虎鉄は苦手であった。
親以外に名前で呼ばれたことなど無いため、どう反応して良いか判らないのだ。 少し頬を赤らめながら視線を逸らす。
「いいか? 笑顔なんてものはな、お客様に心から感謝していれば自然と出てくるものなんだ。 販売店っていうものはな、お客様がそこで物を買ってくれなかったら潰れてしまうんだよ。 うちの店を選んで、そして本を買ってくれる、それはとてもありがたい事なんだ。 心から感謝せずにはいられんし、自然と笑みもでる。 『笑顔の練習』なんて言っている奴らは、根本的にわかってないのだと俺は思っている」
「だが敬語は違う。 これは自然と出るものじゃない。 練習をして、自然と出るようにしないと駄目なんだ。 わかるか?」
「……全然わかんねぇよ。 賭けても良いっすよ、自分は敬語を出来るようになっても、絶対自然と笑顔を出せるようにはならねぇって」
確信があった。
虎鉄は自分が覚えている範囲で、笑った事が無かったのだ。 物心ついた頃から両親は仲が悪く、父は不在がち、帰ってくれば母が怒り、父を罵り……。
笑うってどういうものか、虎鉄には本当に判らなかったのだ。
だが―
「フム、良いぞ、じゃあ賭けようか。 俺はお前がちゃーんと笑顔で接客できる店員になれると確信しているからな。 それどころか、笑顔を武器に、いろんなヤツを幸せにできる男になれると確信している。 そうだな、では賭けに負けたら何でも一つ、相手の言う事を聞くっていうのはどうだ?」
そんな虎鉄の事情なんぞ知らんとばかりに、店長は挑戦的なニヤケ顔でそう挑んできた。
これには虎鉄も呆れ顔だ。
「笑顔が武器の男って何だよ……? つか、自分が勝ったら何でも言う事聞いてくれんのかよ?」
「おう、いいぞ?」
「素っ裸で店に立てっつったら立つのか?」
虎鉄も挑戦的に返してみるも、
「いいぞ? お前が良いって言うまで立ってやる。 何なら違う意味で『勃って』やってもいいぞ? そのかわり、俺が捕まったらお前がこの店を責任を持って見るんだぞ?」
笑いながら店長があっさりと躱(かわ)す。 グッと虎鉄は困り、
「ち、違う要求を考えとく……」
そう視線を逸らし、頬を染めてモソモソと言う。
店長はそんな虎鉄を、ニコニコしながら眺めていた。
そしてこの賭けは、数日後あっさり決着を見ることとなる。
<虎鉄21歳>
現在23時30分。
虎鉄は広々とした銭湯の湯船で、手足をゆったりと伸ばしてくつろいでいた。
虎鉄は銭湯や温泉が大好きである。 同性愛者だから、という訳ではなく、図体のでかい虎鉄にとっては広い湯船が何より嬉しいからである。
だが、嫌いな部分もあった。
ジロジロと見られることである。
虎獣人は非常に珍しい。 こういう場所では必ずといって良いほど視線を浴びた。
シマシマってどこまでいってるの? キンタマもシマシマ? もしかしてチンポもシマシマ?
んな訳ねぇだろ!!!
そんな訳で、深夜まで営業しているこの銭湯は、すっかり虎鉄のお気に入りとなっていた。
男湯に居る客は二人だけ。 自分と、隣で流行りの歌をフンフン歌っている『にろさん』だ。
『にろさん』というのは、虎鉄が考えた二口店長のあだ名である。 地味にお互い気に入っていた。
にろさんも気持ち良さそうにしている。 自分より図体がでかいのだから尚更であろう。
実を言うとこの場所、教えてくれたのはにろさんだ。
二人は境遇がよく似ていた。 にろさんは虎獣人よりさらに数が少ない『鬼種』である。 同じようにジロジロ見られて嫌だったんだろうな……。
ちらりと横目でにろさんを見る。
スーツの上からではわかりにくい、にろさんの逞しい身体。
赤褐色の肌の下はみっしりと筋肉に覆われている。 鍛えた事など無いらしいので、そういう『種』なのだろうか。
胸に生えた毛に思わず心臓が高鳴る。
正直、格好良かった。
そして湯船の中、鬱蒼とした陰毛の中、湯に揺れるにろさんの男性器……。
その逞しい身体に備わるモノは、意外にも小さかった。 いや、大きさ的には虎鉄と大して変らないのだが、身体が大きい分、小さく見えた。
思わずジーっと見ていると、にろさんの視線に気付いてビクッとした。
「どうした、虎鉄?」
「い、いや、何でもないです! その、すいません……」
これでは自分達を興味本位でジロジロ見る他の奴らと一緒だ。 顔を真っ赤にしながら反省する虎鉄に、にろさんが笑う。
「それにしても虎鉄、敬語キレイになったなぁ」
「そりゃ、にろさんにさんざん叩き込まれましたから」
賭けをした数日後、少しだけ用事があって売り場に出た虎鉄は、とんでもないものに出くわした。
店の入口に立っている人物。 信じられん……あれ、竜神じゃないのか……?
そう、それは、紛うことなき『神様』であった。
そのまま店に入ってきた竜神様は、この店が初めてだったのか、しきりにキョロキョロしている。 そして虎鉄と目が合うと(ゲッ!)、テクテクとこちらに歩いてきた!
「すみませんが、店員さんのお勧めの本はありますか?」
いきなりの超A級難度の質問!!!
店員が、一番言われて困る質問を叩きつけられた!! 小パニックになる虎鉄! だが竜神様は優しい口調で続けた。
「最近、読書というものに興味を持ったのですが、どこから手をつければ良いのかサッパリわからないのです。 何でも良いのです、店員さんが面白いと思った本をお教え願えませんか?」
ハッキリと敬語で負けている……。 ここは知識で勝負!
虎鉄はミステリー小説を勧めた。 新人作家の一作で、有名なミステリー賞の最優秀賞に選ばれたものではなく準賞だったものなのだが、虎鉄的にはこれが一番面白かった。 その旨伝えると、竜神様はあっさりそれを買っていった。
軽く会釈をして出て行った竜神様を、ボーっと見送る。
自分……本売っちまったぞ……?
事務所にダッシュで戻ると、驚いた店長に報告する! ぶっちゃけ嬉しい、褒められるんじゃね!?
そう思ったが、店長は冷や汗をかいていた。
「お前、源司さんに推理小説売ったのか……?」
「へぇ、神様、源司さんっていうんすか。 そっすよ?」
「虎鉄……わかってるのか? 推理小説って……」
「殺人事件だぞ?」
……………………
ギャアアアアアアアアアス!!!!!
やっちまった、神様に、人殺しの本売っちまった……。 ガクッとうなだれる虎鉄。
それから数日、さっぱり仕事に手がつかなかった虎鉄に、審判の時がやってきた。
店長が事務所に顔を出し、 虎鉄をチョイチョイと呼ぶ。
「虎鉄、源司さんの御指名……」
売り場に出ると、竜神様がこちらを見て立っていた。 表情はよく判らない。 基本無表情なのだ。
近付くと、いきなり手をガッと握られた!
「とても面白かったですよ、このあいだの小説!」
そう言うと、細かな感想を述べてくれた。 間違いない、ちゃんと読んでないと説明できないところまで話してる……。
本当に読んでくれたんだ……。
「今度は同じ作者の違う作品か、違う作者の同系統の作品を読んでみたいのですが」
そう言ってくれた竜神様に、虎鉄は今度はできうる限り丁寧に作品を勧めると、竜神様はそのうちの1冊をまた買ってくれた。
そして虎鉄の元に再びやってくると、チョコンとお辞儀をして
「どうもありがとうございます」
そう言って、少し微笑んだ。
何で自分がお礼言われてんだ……? お礼を言うのってこっちじゃねぇのか? そう考えている中、自然と声が出た。
「あ、ありがとうございます……」
源司さんは会釈をして、そのまま店を出て行った。
気が付くと、店長が嬉しそうに自分を見ている。
虎鉄は、頬を赤くしながら、少しだけ、笑っていた。
接客業は、感謝するだけの仕事じゃない。
自分が頑張って努力した分、お客様に感謝される、沢山のものをお客様に貰える仕事なのだと気付いた虎鉄は、すっかりこの仕事にのめりこんだ。
誰よりも多く本を読み、知識を蓄え努力をし、彼は3年でバイトリーダーにまでなっていた。
閉店後最後までにろさんと残る事が多くなり、そして今日、以前教えてくれた銭湯に一緒に行こうとにろさんが誘ってくれた。
正直……嬉しかった。
「何考え込んでるんだ?」
にろさんの言葉で現実に戻る。 横を向くと、またにろさんの顔がほぼゼロ距離にあってビビる!
体が仰け反ろうとした瞬間、思わず右手がにろさんのイチモツに触れてしまう! その意外にも柔らかく、そして温かい感触に顔が真っ赤になる!
「おろ、虎鉄、ソレ……?」
にろさんが虎鉄の股間を見ている。 そう、たったこの一瞬で……
虎鉄クン、バトルモード!!!
慌ててにろさんに背を向けるも、ガッと肩を掴まれる! どうしよう、バレたかも……!
が、
「何だよ、溜まってるならそう言えよー! オジサンが手伝ってやるぞー?」
にろさん、指めっさワキワキさせてる!!!
「な、何言ってるんですか!? えっち!! そんなだから奥さんに逃げられるんですよ!!?」
離婚したらしいという話は聞いていたのでそこを攻めてみるも、にろさんはすみませんねーとふざけて言いながら、虎鉄のおちんちんをぎゅっと握った!
しばらくじゃれ合うと、急ににろさんが少し離れて寂しそうな顔をした。
「どうしたんですか……?」
「今年はもう、虎鉄4年生だもんな。 就職活動、始めなきゃだろ? 寂しくなるな……」
視線を落とすにろさん。 本当に寂しがってくれてる……。
虎鉄は、告白する覚悟を決めた。
「にろさん、自分……」
「順風堂を受けようと思ってるんです」
「……え?」
「希望が通るかはわからないですけど、星見店を希望するつもりです。 これからも、にろさんと一緒に働いていきたいですから」
そう言って、虎鉄はニコッと微笑んだ。
こういう時に微笑む事ができる今の自分が
虎鉄は嬉しかった