○タン師範と御神木○


 
天狗山。
 星見町に接する水源の豊富な山で、その山中には名所と呼ばれるほどの大きなものからちょろちょろと流れる小さなものまで、様々な滝が存在している。
 中には誰にも知られていないような秘境的な滝もあり、師範はその一つ、『名も無き滝』に毎月修行のため訪れているのだが……

(駄目だ……全然集中できん……)



 ―ことは少し遡る。
 いつものように道場を出ると、後ろから声を掛けられた。 振り向くと、なんと店長さんである。
 お祭以降、二人の距離の急接近を期待していたものの、別段今までと変らぬご近所付き合いに落胆していた矢先の事態!

 高鳴る鼓動を抑えつつ、平静を装って応対する。

「おはようございます、店長さん。 今日はお仕事……お休みですか?」
「はい。 せっかくのお休みですし、少し遠出をしてみようかと思いまして。 この前のお休みには森林公園に行って来ましたので、今日は別の方向に足を伸ばしてみようかなぁと」


 そう言って、彼は優しい笑顔を見せた。
 その眩しさに目眩すら感じつつも、師範はこれが自らにとって絶好のチャンスであることを感じ取った。

「……それでは、私と一緒に天狗山の方などはいかがですか?」
「天狗山? タンさん、登山されに行かれるんですか?」
「ハハ、いえいえ。 実はちょっとした秘密の滝がありまして、そちらに修行に向かうところなのです。 宜しければ、ご一緒にいかがです?」


 耳の近くに聞こえる凄まじい鼓動音が店長さんに聞こえてやしまいかと、内心汗かきまくりの師範である。
 そんな師範を知ってか知らずか、店長は師範が全く予想していなかった一言を口にした。

「……泳げますか?」

 一瞬ポカンとしてしまう師範。 『邪魔だから』という理由だけで鬣(たてがみ)を剃ってしまった顎に手をやり、少し上に視線を向けて考える。


「まぁ、泳げると思いますが」

 ちゃんとその後の事態を考えて発言するべきであった。 何故ならば……

駄目、超カワイイ……!!

 犬掻きでジャブジャブ泳ぐその姿もさる事ながら、やはり『水着姿』であろう……!
 お祭の時の浴衣姿でさえ興奮して、部屋のぬいぐるみが5つ増えたというのに、あの様な姿を見てしまったら、私は一体どうなってしまうのだ…!? 既に脳内にぬいぐるみデザインが6パターンあるのですが何か!?

 いや、イカンイカン……! 何の為に私はここを訪れているのだ!? 精神修行の為ではないか! 普段より動揺してどうする!? 冷静に……冷静に…………

 冷静になって考えてみたのだが、ひょっとして私は……


 店長さんの生着替えを見られるのではないか…? ←駄目中年

ズゴゴゴゴ

 その時、滝の上から何やら不審な音が……!
 店長がそれに気付き目線を上げると、師範の頭上に流れてきた大木が急速落下中!!!
 声を上げようとしたが間に合わない……! 
タンさん……!!

(な、生着替え…)

堪りませんなぁ!!!!!

ズパァアアアアアン!!!!!

 
一撃の下に木ぃ真っ二つ!!
 そのまま川に
ザパァアアン!と着水し、両断された大木は店長の両サイドを流れていった……。

 師範、そこでハッと気付く。 
今の私、格好良いのでは…!?
 一呼吸置き、静かに(格好良く)瞑っていた目を開ける。 そしてそのまま店長さんの方を向くと……

店長ドン引き中。

 漫画なんかではありそうな光景も、現実にやれてしまう者が居るなど想像もしていなかった店長。 そのままギギギと首の向きを変え、チャポンと川に潜ってしまった……。

や……やりすぎたぁあああ!

 ガクッと膝から落ち、うなだれる師範。

馬鹿だ……私は……!

 再び姿勢を正し、滝に打たれて心を鎮める。

 冷静に、今度こそ冷静に考えてみろ……! 店長さんにとって私は、ご近所さんの武道家さんなのだ。 綱引きであてにされるくらいの身体能力で丁度良いのだ! 木とか滝とか岩とか平気で割れたら、逆に怖がられてしまうのだ……!! 

 暫くすると、気まずいと思ったのか、自分が引いてしまったのを申し訳ないと思ったのか、店長が再び水からチャポンと顔を出した。
 くるっと師範の方を向く。 申し訳無さそうな、心配そうな顔をしている。

 それを見ていた師範は……


……アザラシみたい、超カワイイ……!!

 全然冷静になれていなかった。

 瞬間! ふたたび頭上に不審な音が! 再度店長が目をやると、今度は大きめの丸太が師範の頭上に……!
 大丈夫と思ってもやはり心配だ……! 声を上げようとしたがやはり間に合わない!!

 だが、実は師範気付いてた! ちゃんと冷静になれてた!! そして! 冷静に!!

何もしなかった!

 師範の頭を軸にゴゴゴと丸太が傾き、そのままバシャァアアン!と着水、川下へと流れていった。

 店長が完全に呆気に取られ、師範の方を向くと

「いやぁ、先程のは本当に偶然なのですよ。 私、大木を割ったりとか本当に出来ませんから。 もう、本当、体が丈夫なのがせいぜい取り得の、不器用……な……漢……ですか……ら…………」

 凄いいっぱい『本当』を連呼しつつ言い訳をしていた師範は、そのまま
バシャァアアン!と着水、川下へと流れていった。


inserted by FC2 system