夕明かりに照らし出される褐色の巨躯が、自分に気付くやズンズンと近付いてくる。
遠近感が狂う巨体、間近にその体が迫った時…そのボリュームに息を呑む。

だが、完全に昔に戻った店長は、首筋にちりちりと焼けるような緊張感を感じながらも、その筋肉の塊を冷静に見上げていた。

確かに一撃はでかそうだが…今日は丸腰か  なら

回転数で圧倒してやる

その時ふと、「その矛盾」に気が付いた

彼と会ったのは茶道寺との修学旅行の時である。
店長にしてみればついこの間の出来事だが…あれ、実際には17年も前の出来事じゃないのか?
いや、そもそも…

あれって、自分の記憶の中の出来事じゃなかったか…!?
そう…確か実際には…あの場所に角材を持った大男なんていなかったはずじゃ…

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

やべっ!!! 初対面!!!!?

弾かれるように臨戦態勢が解け、顔を真っ赤にしてあたふたする店長に、その大男は声を掛けてきた。
間近で見るとガンを飛ばしているように見えた顔も、明らかに「困り顔」だった。
当然だ。 ガンを飛ばしてたのはこっちなのだから…

「あ、あの…」
「はじめまして、大河原 虎鉄さん…ですよね。 息子の蔵王 大輔です」

その一風変った自己紹介も、苗字を聞いてピンと来た。
蔵王」、それはかつて自分が拒絶した苗字

それは

再婚した母の「新しい苗字」だった



「ーつまり大ちゃんは、あのひ…母さんの再婚相手の息子さんで、父さんとは初対面なんです。 知らなくて当然ですから…」

「もう泣かないで下さい…」
「すいませーん、お冷もう一杯くださーい」


「空のいろ 家族のいろ 後編」


「だって私は…虎鉄のお父さんなのに…母さんが再婚した事も…新しくお兄さんが出来てた事も…全然知らなくて…お父さんなのに…」

鼻をすすりながら泣く父の涙(と鼻水)をハンカチで拭いてあげるも、なかなか浮上しない父・鉄志。


「はい、こてパパさん。 お品書き」

ニッコリ笑った大輔が、そう言ってメニューを鉄志に渡した。
鉄志は頬を少し赤くして「ありがとう…」と小さく言うと、メニューを受け取った。

どうやら「こてパパ」という呼称が気に入ったらしい
ちょっと口元をほころばせながら、お品書きを見始めた。

大輔が店長に向かって軽くウィンクする。
店長も笑顔を返した。

優しく、嬉しそうに紅潮した大輔の頬は、まるであの日の夕焼けのようだ
そのいろが、店長は、虎鉄は大好きだった



居間のソファーに体を小さくして座る大輔に何か飲み物をと思ったのだが、冷やしてあるのは水と牛乳のみである。

牛獣人さんに牛乳を出すのってどうなの…?

結局冷えた飲み物は諦め、紅茶を出すと
「い、いいのに…気を遣わなくて」
と、大輔は少し俯きながら言った。

やはり、何かを言いにくそうにしている

その苗字を聞いたときから、ある程度の察しはついていた。
苗字が「蔵王」という事は、大輔さんは「お父さんに引き取られた」という事だ。 つまり再婚後は…

あの人と…自分の母と同居する事になったはずなのだ…

バツが悪そうに紅茶をちょっとだけ口に含む大輔に、虎鉄はバッと頭を下げた。

「!!!? えっ、ちょ! どうしたの!!?」

目を丸くして驚く大輔に、虎鉄は頭を下げたまま話し出した

「ごめんなさい、大輔さん。 自分の母に…毎日酷い事とか言われてるんでしょ…? 自分に出来る事なんてこれぐらいしかないし…」
「ちょっと待って!! な、ちょ…いいから頭上げてよ! ていうか謝るのって俺の方だし!

「…え?」

その言葉の意味がわからず視線を上げると、今度は大輔が深々と頭を下げていた

「!!! だ、大輔さん…!!? え? あ、あの…」
「俺のオヤジ…最低だっただろ? あいつと話した事、二十歳の時から殆ど無かったから…こんなに挨拶が遅れちゃって…。 相手に息子さんが居る事、つい最近まで知らなくって…。 何にも出来ないけど、俺でよかったら思う存分殴って…」

…あれ……?

互いに視線を合わせる。
会話がかみ合ってない。 お互いに同じような事言ってる…?

「再婚したの、俺が二十歳の時だから虎鉄君は19の時だよね…? 最低だったでしょ…?」
「…あれ、再婚って自分が二十歳の時ですよ? 19の時にはもう家出てましたし、また苗字変わるのイヤだったので二十歳まで待たせて、そのまま絶縁しましたけど…?」
…ひょっとして、親父に会った事無い?
「えぇ…無いですけど…もしかして大輔さんも…?
「俺も…二十歳ですぐ絶縁したから…あれから一度もまともに親父に会ってない。 虎鉄君のお母さんにも…」

そこまで話して、ようやく二人とも安堵で力が抜けた。
良かったぁ〜…、という言葉と共にソファに同時に腰を下ろした。 

「自分…てっきり大輔さん、その事で自分に文句を言いに来たのかと…」
「まさか…! 俺、マジでボコボコに殴られる覚悟で来たんだよー?」

そして目を合わせ、二人とも同時に吹き出して笑った。

「虎鉄君、お母さん嫌いなんだ」

ハハハと笑いながら曖昧な態度を取る虎鉄に、大輔は優しく話しかける。
「でも、俺のオヤジの最低っぷりには適わないと思うけどな〜」

「…そうなんですか?」

家族の話をするのは、初めてだった。
そう、お互いに。
だから互いにわかっていた。 常に自分達は二つの思いを抱えている。

「誰にも知られたくない」
「誰かに知って欲しい」

その均衡を、先に破ったのは大輔だった。

「俺のオヤジさ、最初は普通にサラリーマンしてたんだけど、俺が小学校の低学年の頃かなぁ…上司に叱られたのが気に食わねぇとかであっさり仕事辞めちゃって。 で、それからはろくに仕事に就かないで、地元で旅館経営してる母さんの完全ヒモ状態! 金をせびってはパチンコとかして一日中遊び呆けてさ。 漫画みたいで笑っちゃうでしょ? 何度も離婚話が出たのに全然受け付けようとしなかったんだけど、俺が中学の頃かな、急にオーケーして。 で、その代わりって母さんに出した条件が息子の俺を自分に引き取らせることだった」
「? 何です…その条件? 普通逆じゃ…?」

「目当ては毎月の養育費だったんだよ。 このままヒモ状態じゃろくに金もせびれなくなる、でも養育費なら一定金額は毎月出さなきゃならないでしょ? 良く思いつくよね〜、そういうこと」

大輔は、眉間にシワを寄せて笑った。

「…よくお母さん、同意しましたね」
「いやぁ、あの人気ぃ強いからさぁ、切れた切れた! 俺が説得したんだよ。 もう、母さんとアイツが夫婦でいるのイヤだったから」

困り顔ながらも、そのまま笑って話す大輔。

「凄いなぁ、大輔さん…。 自分からそんな事…」
「ははは、凄くない凄くない! だって俺、すぐ後悔したもん。 飯抜きばっかだったし、オヤジに手ぇ出せば母さん悲しむだろうから、結局学校とか家以外で暴れてたし」

それがあの角材なのだろう。

耳をパタパタさせながら、大輔は照れ笑いをしている。 

虎鉄は正直、死ぬほど驚いていた。 二人は、驚くほど境遇が似ていたのだ。
離婚も、以降の不遇も、暴れていた事も…。
大輔が茶道寺に襲いかかった事を忘れた訳ではない。 でも、怒りはもうどこにもなかった。

虎鉄の中で、初めて気持ちの均衡が崩れた。

知って欲しい…

「自分の…」
ポツリと話し始める。 大輔は、口元に僅かな笑みを残し、黙って聞いた。

「自分の母は…もとは父のファンだったんだそうです。 志崎(しざき)さん…マネージャーさんに聞きました」
「ファン? マネージャー? お父さん、何かしてるの?」

「あ、そういうのは聞いてないんですね。 石蔵鉄志です。 俳優の」

ブゥウウウウウウッ!!!!!

初めて人に話したのだが、大輔のリアクションはある意味満点だった(笑)
バンダナを洗濯籠に入れると、少し肩の力が抜けた。

「ファンで結婚なら勝ち組じゃないの? やっぱり一緒にいられる時間がどうとか?」

普段ならこういう質問自体精神的に受け付けられないのだが、大輔が言うとスンナリと受け入れられた。

「母は…あの人の中にあったのは『愛情』じゃなく、『独占欲』だったんです。
俳優・石蔵鉄志を自分だけのものにしたかったんですね。 その為に、自分が生まれました」

大輔は、眉をしかめて悲しそうな表情をした。 多分さっき大輔の話を聞いているとき、自分もこういう表情をしていたのだろう。 虎鉄は少し笑って見せた。

「でも、思うようにはいかなかったみたいです。 父さんはどんどん評価されて、映画の仕事も忙しくなって、全く自分だけのものにならなくて…逆に、自分はどんどん家庭に疲れていって…。
自分が高校時代に起こした暴力事件で『詰み』でした。 でも自分、離婚は大賛成だったんです。 父さんがあの人に怒鳴られたり罵られたりするの、もう見たくなかったから…。」
「虎鉄君…お父さんの事、大好きだったんだ…」

「…はい……。 でも、母は多分憎んでました、父さんの事。 だから、父さんが可愛がってくれてた俺を…裁判で無理矢理奪い取ったんです…。 俺のこと、全然見ようとしなかったクセに…。 全然…好きじゃなかったクセに……」

大輔は言葉が出なかった。 虎鉄の顔からは、既に笑みが消えてしまっていた。

「俺も…」
押し出すように、虎鉄が言った

「俺も…大輔さんみたいに…ちゃんと父さんと話せばよかった…。 そしたら…父さんが自分を愛してくれてるか…不安にならずに済んだのに…」

目頭が熱くなる。 全然大輔のように笑って話せない自分が情けなかった。

「俺…父さんに引き取ってもらいたかった…家に帰って来れなくてもいいから…ずっと父さんと『家族』でいたかった…」
「虎鉄君…」

「寂しい…」

小さく、だが生まれて初めて…虎鉄は本音を口にした
その途端、目の端に熱いものが溜まっていくのがわかった。
それを見られたくなくて俯いた虎鉄の頭に、大きな手が触れた。

視線を上げると、大輔が虎鉄の頭を優しく撫でてくれていた。

「だいすけさ…」
「ねぇ、虎鉄君、俺ら…兄弟になれないかな…?

大輔のその言葉に、虎鉄はきょとんとしてしまった。

「俺ら、どっちも親と絶縁しちゃってるから厳密には違うんだけどさ、でも俺…こてっちゃんとは兄弟になりたい」
「大輔さん…」
「俺ら二人の間だけの『兄弟』…駄目かな」

大輔は、優しく笑っている。 
それが「同情」や「哀れみ」でないことは、すぐにわかった。
だが…その申し出は多分受けられない。 受けられない理由があった。

「俺…………同性愛者なんです…」

やっとの思いでその言葉を口にした。
生まれて初めてのカミングアウト。 今日は生まれて初めて尽くしだと、心の中で苦笑する。

「気持ち…悪いでしょ? そんなのと兄弟なんて…」

途端、大輔が表情を固くした。 真剣な顔でこちらを見ている。
そして、少し身を乗り出すと、そっと虎鉄に小声で耳打ちした。


「俺いま、パンツ穿いて無いんだ…」


「………は?」

完全に虚を突かれた虎鉄君。 呆然としていると

「あ! 信じてないでしょー! ほら…」
そう言うや否や、大輔は自分のジーンズの前をおもむろに開けた。
そこには下着が確かに無く、いきなり野太いイチモツがその背を現した。

「いやぁ、俺さぁ〜、なんか他人に見られるのってゾクゾクするって言うか…ノーパンばれたらどうしようとか考えるだけで興奮するって言うか…こういうの何て言うの?」

そう言いながら、シャツを胸元までめくり上げ、ジーンズも完全に脱いでしまった。
そしてそのまま…

虎鉄に見られている事で興奮し、ご立派様になってしまわれました!!!

「だ…!?」
「ねぇ、こてっちゃん、俺…気持ち悪い?」

大輔は、赤い顔を少し真剣にしながら訊いた。
「気持ち悪い…?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
虎鉄は、静かに微笑んだ。
「ううん、気持ち悪く…無いよ」
「じゃぁ俺だって一緒だよ。 こてっちゃんの事、気持ち悪いなんて思う訳ないじゃん! 可愛いよ、こてっちゃんのそこ」

? ふと大輔が指さした先、自分の股間に目をやると、ズボンの前部分が見事にテントを張っていた!

ギャアアアアアアアアアス!!!!!

それから、互いのおかしな姿に、二人一緒に大笑いした

「ねぇ、大輔さん」
「何?」
「だいちゃんって…呼んでいい…?」

返事をする代わりに大輔は



優しく微笑んでくれた

夕焼け空の茜色の中、それにも負けないくらいの赤に染まった頬。
その暖かいいろが、優しいいろが、虎鉄がずっと思い描いていた

「家族のいろ」だった


大輔は、自分を救ってくれた「もう一人」である。
家族がいなく、にろさんも入院し、寂しさに押し潰されそうになった自分を救ってくれた人。
その優しさがあったからこそ、いま自分はこうして家族で食事をすることが出来ているのだ。

正直、こんなに蕎麦を美味しいと思ったことは無かった。
父さんと、大ちゃんと、自分と。 3人で話しながら、笑いながら食べる食事のなんと美味しい事か。

エスカレーターを降り、9階で立ち止まる。
「今度来る時は、ちゃんと連絡してよ〜? 大ちゃん」
「ビックリさせたかったんだけどね…うん、了解。 こてパパさんも、京都に来る時は連絡下さい。 母の旅館を案内しますから。 親子でも大歓迎ですよ!」

鉄志もすっかり大輔が好きになっていた。
「ありがとう。 その時は是非大輔君もね」

喜ぶ大輔に、虎鉄はそっと耳打ちした。
「大ちゃん、ひょっとして今もノーパン?」

ハハハ、と照れながら笑う大輔に

「もう…しょうがないお兄ちゃんだなぁ」
と、虎鉄も笑った。

別れようとした時、大輔も虎鉄にそっと耳打ちする

「お父さん、良かったね」

その短い言葉が本当に嬉しくて、人目を忘れて大輔に抱きついた。

「大ちゃん、大好き!」

手を振ってエスカレーターを降りていく二人の親子を、大輔はずっと見送った。


大輔は、昔の事を良く憶えている。
友人の馬獣人を傷付けられ、真剣に怒った彼のことを。
自分が情けなかった。 ただ暴れているだけの自分が恥ずかしかった。
ダチの為に真剣に怒れる、彼のようになりたかった。

その彼と、大河原虎鉄と再会したあの日、大輔は心を痛めた。 彼をかつてあれほど怒らせたことに。
だから、今度は彼を笑顔に出来る自分になりたいと思った。 なろうと決めた。

俺は…こてっちゃんが笑ってくれるなら、何だってするから
それが、俺の贖罪で…

恩返しだ


決意も新たに売り場に戻ろうとしたその時!
「調子に乗ってんじゃねぇぞぉ…このヤロウ……!」

何やら負け犬の遠吠えのようなものが聞こえた気がしたのだが…

その日、大輔は最凶最悪のストーカーお兄ちゃん(自称)を敵に回したのだった。


後日…

「おぉーい! キバトラー!!」

突然ナギに呼ばれた店長が振り返って見ると

「どうだ、キバトラ!」


「お兄ちゃんっぽいだろ!」




「んーな事で俺が負ける訳ねえだろぉがバカヤロウ!! お兄ちゃんポジションは誰にも渡さねーっつーの!!!」


店長にとっての、虎鉄にとっての「自分を救ってくれたもう一人」
にろさんの介護生活に擦り切れそうになっていた自分を強く抱きしめてくれた人、ナギさんは

この日、「恩人」から「やっぱりよくわかんない人」に見事クラスチェンジを遂げた。

「まぁ…あったかくなってきましたからね」

星見町(在住のナギさんの頭)に、(本格的に)春がやってきた


ナギ 34歳(笑)


おしまい


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