しーっ


 源司は静かに部屋を出て、そっと襖を閉めた。

 双子がニコニコしながら廊下に立っている。

「こてっち、もう寝た?」

 頷きながら、源司は静かに笑った。

「さっきはすげぇビビッたー! 神様叱る奴なんて初めて見たー!!」

 弩来波が驚きと笑いとの入り混じった表情で言うと、波威流もウンウン頷いた。

「ハハハ、私もつい先日叱られてしまったよ」

 源司の言葉に二人とも驚き、そしてスゲェとか怖いもの知らずとか小さい声で言い合いながら笑っている。

「店長さんの事、嫌いになっちゃったかい?」

 イタズラっぽく源司が訊くと、

「ウウン! こてっち好きー! スゲェ面白い!!」

 弩来波が笑って言った。

「俺も、最初はその……兄ちゃんの知り合いだって聞いてたから、兄ちゃん取られちゃうんじゃないかって……。 でも今は違うよ! こてっち、兄ちゃん笑わせてたもん。 兄ちゃん笑わせてくれるから、俺もこてっち好きー!」

 波威流が頬を赤くしながらそう言うと、源司は優しく二人を抱きしめた。


「これから沢山話をすると良い。 沢山の事を教えてもらえるよ」

 強く抱きしめた二人の体が、僅かに震えているのが判る。

「今日は店長さん一人だったが、周りのお友達も皆面白い人達ばかりだ。 きっと皆好きになる。 それから、少しずつ街にも降りてみると良い。 街には怖い奴ばかりじゃない、店長さんみたいな人もいる。 沢山の人と知り合いになれば、世界がもっと広くなるよ」

 優しい兄の言葉に、双子は静かに頷く。

「じゃあ朝起きたら、四人でいっぱい話そう? また一緒にお風呂入って、一緒にご飯食べて、兄ちゃんと、俺と、弩来波と、こてっちで、一緒に話そう……?」

 波威流がニッコリ笑ってそう言うと、弩来波もエヘヘと笑って見せた。
 今尚二人は少し震えている。 互いの手を握り合っている。 それでも二人は笑ってみせる……。


「愛してるよ、波威流、弩来波。 お前達を兄弟として迎え入れて、本当に良かった」

 二人は兄の胸に強く顔を押し付けた。 そして

「行ってらっしゃい、兄ちゃん」

 そう、小さな声で呟いた。


 この空間の入口にそびえる鳥居の前に立つ。 太い柱に手を触れ、瞬間源司の黄色の瞳が赤の光を放つ。
 鳥居の向こうに見えていた樹海が消え、一面の闇が映し出された。
 鳥居をくぐると、真っ暗な世界に出る。 そして上から下から、横から斜めから、無数の鳥居が闇から生えてきた。 

 ここは全てを観察する場所。 神々は『天文室(てんもんしつ)』と呼んでいる。

 源司がそこに着くと同時に、目の前の鳥居が光を放ち、中から一人の神が姿を現した


「お久しぶりです、師匠。 いや、今は亀神の御爺(かめがみのおんじい)と呼ぶべきですかな」

 御爺は、深いため息をついた。


 目の前に立っている、かつての弟子を見る。
 当時とまるで変わらぬ容姿(いや、腹が出たか……?)、自分はこんなにも衰えたというのに、まったく……『純血の竜神』ってやつは……


「今回のおぬしの所業についての観測結果を読み上げるぞ?」

 一つ咳払いをしてそう言うも、源司の表情は少しも変らない。 笑っているような、キョトンとしているような、心が読めぬ表情……。

「まず初めに確認しておく。 神は家族以外の特定の個人を愛してはならない
「一番最初に貴方に教わりましたな」


 表情をまったく変えずにかつての弟子が応える。 再び御爺からため息が漏れる。


「神は己の為にいかなる力を使う事も許される。 無論、我々が持つ倫理観の範疇で、だが」

 最後のセリフは少し語調を強めた。 わかっているな!? そういう意味合いを込めた。
 まぁ、かつての弟子は、相も変わらずの無表情なのだが……。


「しかし、誰かを愛すれば、その者の為に力を行使しかねない。 それは『神が力を行使する』のではなく『誰かの意思で神の力を利用される』事と同義となり、それ故に先の禁止項目が設定された。 その為、この項目に反した者に対しては、厳格なる罰則が設けられている」

「神格の喪失だ」

「神は誰かを愛し、その者の為に力を行使した瞬間に神格を喪失する。 神格を失った時、その者が『神』であった全ての記録と記憶が抹消され、一人の獣人として生きていく事となる。 つまり愛に生きる事を決めた瞬間に愛する者を失う、そういう事だ」

 当然理解しているだろう。 大原則だ。 だが目の前の弟子は頷きもしない! お前の行動がこの禁止事項に抵触したから、わざわざ説明してやっとるんだろうが……!

「で、今回のおぬしの『過去への介入』だ」

 やっと本題だ。 眉間に皺を寄せながら、御爺が再び話し始める。

「今回おぬしは、明らかに他人の為に力を使ったな? 茶道寺 愁哉。 この者の願いを叶える形での力の行使である事が観測されておる。 だが『神格喪失』は起こらなかった。 その為に協議をさせてもらった」

 僅かに源司が笑って見せた。

「結果、おぬしの精神区画に茶道寺愁哉への愛情構築は見られなかった。 よって、今回の力の行使は禁止事項に該当しない事が決定された。 だが抵触したことに変りはない、以後注意するように! 以上だ!」

 やっと終わった。 この男に対する協議結果通達を誰も引き受けようとしない為(基本スペックが高過ぎる為、他の神々に畏怖を持たれているのだ)、師である私に毎度お鉢が回ってくる……。
 これだけの事をしておきながら、相変わらずの無表情。 いや、先程の微笑を僅かに残しているか……?

 かつての弟子でありながら、こやつが何を考えているのか未だにさっぱりわからない。
 あの双子の竜人の子供にしてもそうだ! 天狗山だかいうアヤツのお社がある山に捨てられ死にかけていた双子の兄弟を、あろうことか己の神格を分け与えて神にすることで一命を取り留めさせるなど、まったくもって前代未聞だ!! しかもそれだけの事をして、事後報告事後承諾である!!
 まったくもってさっぱりわからん! わかっている事といったらネーミングセンスが最悪だという事ぐらいか? 双子は新しく貰った名前をえらく気に入っているようだが……。

 最後にこの上ないほど深い溜息をついて踵を返すと、持っていた杖で鳥居をコンコンと叩き、「ではな
と一言だけ言って鳥居に入っていった。

 だが……

 景色がまったく変らない。 無数の鳥居が立ち並ぶ『天文室』のままである。
 キョトンとする御爺。 振り返ると源司がこちらを見ている。

 そしてふと気付いた。


 源司の目が、赤く光っている

 背筋に冷たいものを感じ、御爺は先程よりも強く鳥居を叩き、再びくぐった。 が、

 やはり何も変らない
 かつての弟子との距離が再び縮まっただけである。

「な……何をしておる!!?」

 かつての弟子に怒りと恐れを感じ怒号を発するも、源司は依然、飄々としたままだ。

「すみません、実は少々お話がありましてな。 ですがちと複雑ゆえ、頭で整理しておりました。 今この世界は『法規回路への接触条項』を破棄させて頂いておりますゆえ、上位接触権を行使しても無駄ですぞ」

 血の気が引いていく……。 さらりと言っているが、簡単に言えば『この世界に於ける神の力の行使に関する全てを掌握している』という事なのだ。 
 そう、かつての弟子は


バケモノになっていた


「今回の過去への介入、実は色々と複雑でしてな……」

 源司が、一つの鳥居に視線をやる。
 無言で「見ろ」と言われている……。 御爺も目をやると、見覚えのある鳥居に汗が滲み出る……。
 鳥居の中の暗闇が揺らぎ、向こう側にどこかの神社が映し出された。 その神社の奥の茂みから学生服を着た虎獣人の高校生が現れ、何やらキョロキョロとしている

「彼は今、高校への近道を探索中のようですな。 この神社が近道に利用できそうだと確認しておるのです」

 …………

「彼の名は『大河原 虎鉄』、いや、この時点では『鬼頭 虎鉄』ですかな。 今私は、現在の彼と親しくさせて頂いております」

 少しずつ……

「実はひとつ不思議に思っていた事がありましてな、この方、額が禿げてしまっておるのです。 それは見事な禿げでしてな、額の虎縞がすっかりなくなってしまっておるのです」

 真意が判ってきた……。 心を紛らわせるかの様にハハハと笑う。


「何か可笑しいですか?」


 突如放たれた源司の冷たい語調に、笑いが消えた。

「額の虎縞は、虎獣人の尊厳の証です。 ここが剥げる事は生物的に考えにくい。 とはいえストレスというものも多様化している時代、そういう事もあるのかと考えておりました」

「茶道寺君から話を聞くまでは」

 源司の目が、僅かに感情を秘めた視線を御爺に放つ。

「彼が私に気になる事を話してくれました。 虎鉄さん、神社の境内で相手に大怪我をさせたそうなのですな」


 ………………

「これがその神社です。 ご存知ですよね? 貴方を祀った神社だ

 …………………………

「確信が必要だった為、2時点での観測を実行しました。 一つは虎鉄君のストレスが最も強かったと予想される17歳の時。 その観測の為、無論茶道寺君の願いもありますが、一石二鳥だったので実際の過去へ介入しました。 そして観測の結果、当時の彼にストレスによる障害は観測されませんでした」

 源司が全員を無理矢理に抱きしめて、気絶させたあの時である。

「そしてもう1点は現在に設定、つい先日観測を実行しました」

 寝起きにバンダナをめくったアレだ。

「結果、ストレスによる障害は観測されませんでした」

「彼に神罰を下しましたね?」

!!!

 御爺が絶句する。


「あ……」
「当たり前だ!! あ奴は境内を血で穢(けが)したのだぞ!」
「だが貴方はその理由を知っている。 身の回りの世話をする神官に話しましたな? 子供を助ける為だ、と」
「それでも我を忘れての所業だった! 確かに儂も頭に血が上った事は認める! だが判断を誤ったつもりは無い! 全てを考慮した上で『バチを当てた』のだ!!」

「バチを当てた?」

 今、ハッキリと、言葉に『怒気』が篭った。


「その様な可愛いものだとお思いですか? 頭が剥げている、普通の人間や他の獣人なら笑い話にも出来ましょう。 だが彼は虎獣人なのですぞ? 額の縞は彼らにとっての尊厳なのですぞ? それが禿げ上がり、いついかなる時もそれを隠して生きていかなくてはならない事が、バチですと!?

 徐々に語気が荒くなっていく。

「それは竜神ならば角を折られることと同義! 亀神なら……」


 そう言うと、源司はその手を御爺にかざした。 そして―

「亀神なら、甲羅を奪われる事と同義なのですぞ!」

 かつての弟子の目が、赤の光を強めていく……! まさか、そんな……!?

「何をしようとしておる……よせ、儂に神罰を下すつもりか……!!?

 赤い光はどんどん強さを増す

「待て……待ってくれ! そ、そんな事が許されると思ぉておるのか!! よせ、やめろ、り、『倫理外行為』だ! いや、そもそも貴様はあの者を特別扱いしておる! あ奴の為の力の行使となるぞ!! 愛情構築されておったら貴様、神格を失う事になるのだぞ!!! どちらであっても神ではなくなるかも知れんのだ!! 全ての者達に、弟達に、あの虎獣人にさえ忘れられても良いのか!!? 源司!!!!

「実際に経験しなければ、お分かりにはなられんでしょう……?」

 瞬間、世界が赤に染まった

 再び闇が戻ってきた時、御爺は背中にあるべき物の『重さ』を全く感じずにいた。 頭から血の気が失せ、膝から落ちた。


無くなった
甲羅が
どうする?
どうやって生きていけばいい?
誰にも見られたくない
甲羅が無くなった姿など誰にも見られたくない!!
どうやって隠せばいい!?
どうやって生きていけばいい……!!!?



 頭がパニックになり、震える手が背中に回る……。 だが、そこに、確かに感触があった。 硬く、冷たい感触が。
 甲羅は、変らずそこにあった。


「ただほんの一瞬、重みを消しただけです」

 源司のその言葉に、全身の力が抜けた。

「実は私、素晴らしい言葉を教えて頂きましてな」

 静かに続ける

己の欲せざる所 人に施す事無かれ。 判りますかな? もっと簡単に言いましょうか」

 御爺が、顔を少しずつ上げる。 源司の顔を見るのが恐ろしい。 だが、今、見る事を強要されている……


「自分がされて嫌なことは」

 恐ろしい 見たくない

「他人に」

 いやだ!!!


「するな!!!」
 
 初めて見たかつての弟子のの形相は、彼が立ち去った後も御爺をその場に凍り付かせた。
 己が失禁している事さえ、気付かせないまま……



 鳥居をくぐると、温泉の匂いが鼻を掠めた。

 玄関に、弟達の姿が見える。 

 二人はこちらに走り出し、私の胸に飛び込んできた。 そして
 大声で泣いた

 私は神格を失う覚悟をしていた。 そうしてでも彼の尊厳を取り戻してあげたかった。
 二人も気付いていたのだろう、私の決意に。

「ただいま、波威流、弩来波」

 弟達は泣きながら、おかえりと言い続けた。

 本気で甲羅を奪うつもりだった。 だがあの言葉が、頭をよぎった。


己の欲せざる所 人に施す事無かれ

 もし私の為に、弟達が、そして店長さんが、何かを失う事を決めたら私はどう思うだろう?

イヤだ

 素直にそう思えた。 だから踏みとどまったのだ。 弟達の涙が『嬉し涙』である今、そう決断してよかったと心から思える



 何やら額の辺りに、ガサガサした感触が……!
 嫌な予感にバッと目を開けると、案の定! 源司さんがバンダナの下に手を突っ込んでいる!!
ダァアアアアアッ!!! と声を上げ、源司さんを引き離すと、すぐさま臨戦態勢に!

「な、なっ、何度言えば分かるん……!」
「毛が生えておりますぞ?」

 言い終わらぬ内に源司さんがニコニコしながら言った。
 は? 何のこと……? 店長の頭の上のはてなマークに

「おでこに毛、生えてますぞ?」

 源司さんがますます笑いながらそう言った。
 何を言って……そう思いながらバンダナ越しに手をやると、何やらガサガサした感触が……。 そういえばアレ? 何でガサガサしてんの? いつもはもっとこう、つるぺたっと……
 恐る恐る手を入れると、そこには昔と変らぬフサフサの毛がみっしりと生えていた。

「!!!!!!!」

 バッとバンダナを外し、鏡を探す! 洗面所にある事にすら頭が回らない。
 そこへヌッと、源司さんが顔を近づける。

「私の瞳に映りますかな?」

 源司さんの瞳、黄色い優しい目の中に、虎縞がハッキリと見えた。
 ボーゼン……

「……源司さん、な、何かしたんですか……?」
「まさか! 出来ればとうの昔にやってますよ。 でも、そうですね」


 少し考えるそぶりを見せて、源司さんがふっと笑って言った

「悪い事が起こる事を『バチが当たる』と言うではないですか。 こういうのは『日ごろの行いが良い』と言うのではないですかな?」

 何やらさっぱりわからない。 

 店長の頭の上にいまだ『?』が大量発生しているのを、源司は笑顔で見ていた。

 窓の外には2羽の鳥が飛んでいくのが見える。 つがいだろうか、それとも友達だろうか……?
 そこにあるのが愛であろうと友情であろうと、寄り添って生きていくその姿に変わりなど無い。 

 今は、それで良いと思う。



「おはようこてっち!!」

 露天風呂に行くと既に双子が入っていた。 今でもバンダナを
「トレードマークだ」と言って巻いている店長をクスクス笑う源司さん。
 双子がそれを見てニッコリ笑うと、

「こてっち! 俺達ちゃんと学習したぞ!!」

 満面の笑みで突然そんな宣言をしてきた。

「……何がです?」

 嫌な予感がしながらも、とりあえず訊いてみる。

「ホラ、例のあれ、己の何とかってヤツ! 自分が嫌な事は他人にするなって事だろ!?」

「そうですけど……」

「じゃ逆に、自分がされて嬉しい事は他の人にもドンドンしていこうゼ! って事だよな!!?」

「……まぁ、そうですかね?」

 店長の不用意な一言に、双子が満面の笑みを浮かべる! そして!!

「だよな! よし!! 俺ら二人でこてっちの全身洗ってやる!!!」

「……は……?」


 店長の頭が理解する前に、双子が襲い掛かった!!!
 じゃれ合う3人を見て、源司は笑った。


愛する家族がいて、大切な友人達がいて、私を笑顔にしてくれる君がいて

これ以上を望んだら

それこそバチが当たりますよ


ギャアアアアアアアアアス!!!!!


私は、幸せ者です



おしまい。


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