男達の挽歌


ゴツッ ゴツッ

照明が全く無い、薄暗い廊下に、定期的に重い音が響き渡る。
その音が革靴による「足音」である事は、容易には連想し難い。 
それが靴音と認識するにはあまりにも重く、またその間隔が開きすぎているからである。

だがそれも無理からぬことであろう

足音を響き渡らせているその人物は、身長2m10cm、体重118キロにも及ぶ大男なのだ。
赤褐色の肌、黒とベージュの二色に分かれた頭髪、目の横の独特の印、大きな牙。 一目で「鬼種」であると確認できるパーツが揃っている。
だが彼には、他の鬼種とは大きく異なる特徴があった。 

いや、逆だ。

彼には、鬼種と認められるべき大きな特徴が欠如していた。
その男には

角が無かった。


短編ー男達の挽歌ー


その男には、生まれつき角が無かった訳ではない。
かつて男には、一族の中でも見事なほどの、大きな角が生えていた。
男のただ一人の肉親である父は、その角をいつも優しく撫でてくれた。 そして息子を自慢の息子だと、深く愛してくれていた。

だが、最愛の父との平和な日常は、いとも容易く崩れ去った。

16歳の夏、男と父は、深い森の奥に佇む館に拉致され、父は男の目の前で殺された。
そして父が愛してくれた男の角は、館の主の「コレクション」として「切除」された。

「角以外の部位」である男は必要無くなり、男はそこで絶望のまま命を落とす…筈であった。
だがそこへ、一人の人物が現れた。 彼のおかげで、男は命を救われた。
まるで正義のヒーローのような彼、だが漫画的・アニメーション的ヒーローと大きく異なる点が一つあった。


彼は、屋敷の主、そしてその従者、その全員を分け隔てることなく

皆殺しにしたのだ


彼は、全てに絶望し呆然としていた男と、床に横たわる男の父を一瞥すると、父の遺体を担ぎ、そして男の手を取った。
歩く気力も無い男を無理矢理引っ張り、彼は森の中を休むことなく歩き続けた。
その森を抜けたかと思うと、また違う森に入っていく。 どこまでもどこまでも歩き続け、そして最後の森を抜けた時ー

突如開けた光景に、失われた男の心が僅かに振るえた。

男が立っている場所は、切り立った崖の上らしい。 眼下には、彼が父と過ごした街が広がっていた。 そして、街の向こうに広がる海。

暗雲で色を失い、灰色に支配された世界。 灰色の町並み、鉛色の海。
だが、雲の隙間から光が漏れ、街に、海に、「色」を落としていた。
光り輝き、金色にさえ見える街。 光を反射させながら穏やかに波打つ海の、淡く、深い、色彩豊かな青。

呆然とする男の表情の僅かな変化を見て取ったのか、彼は担いでいた男の父をそっと地面に下ろすと、地面に穴を掘り始めた。 道具などありはしない、素手で硬い地面をガリガリと掘り始めたのだ。

男もその意味を察し、一緒に穴を掘り始めた。
指先が血に染まり、爪が剥がれても、構わず穴を掘り続けた。
そして、大きな穴が出来上がると、彼は男の父の遺体をそっとそこに横たえた。

彼は土を掛けようとはしなかった。 それはお前がするべきだと、男に告げた。
男は、嗚咽を漏らし、涙を絶え間なく流しながら、父の体に土を掛け、

最愛の家族と  決別した

彼は、どこからか膝下くらいある石を持ってくると、埋めた土の頭にそれを置いた。
次にここに来た時に、貴様の父に相応しい、立派な墓石を用意してやれ。 そう彼は男に告げた。
男は人生で最後の一粒を瞳から流し、小さく頷いた。


「何故、ここまでしてくれたんですか…?」

男の問いかけに、彼は「息子がいる」と、一言だけ返した。
それだけで、男には十分な気がした。

「…何故自分を助けてくれたのか、とは訊かぬのだな」

彼は、意外にも次の言葉を発した。

「…それほど傲慢じゃ…ないつもりです…」

男の一言に、彼は興味を示した。

「そうだな。 察しの通りだ。 私は仕事であの場に赴いた。」

そして彼は、己の素性を男に話した。

「…ゼブラの…総裁……?」


「ゼブラ」ー非公開組織、秘密結社、呼び方はいつもどこか幼稚染みていて、殆ど都市伝説に近い存在だと思っていた。
この国の、殺し屋と呼ばれる職の者たちが、例外無く所属しなければならない組織。
依頼と報酬さえあれば、善人殺しも悪人殺しも、いわゆる黒い仕事も白い仕事も分け隔てることなく請け負う所から、「ゼブラ」という名が付いたというのが通説であった。

しかし…本当に実在するとは…

男は死を覚悟した。
そのような素性をおいそれと自分のような小僧に話す筈が無い。 父の埋葬は、せめてもの情けだったのだろう。 そうして、最後の目撃者を消して、全てが終わるのだ。
それでも、例えそれでも、男は彼に感謝していた。 そしてその事を彼に告げると、彼は不思議な表情を男に見せた。

「貴様はすぐに私の事を忘れる。 だから教えた。 それだけだ」
「…忘れません。 未来永劫」

「忘れる。 私に関する全ての事を、必ず忘れる。 この世界の誰一人、私の事を記憶できない。 それがこの世界のルールだ。」

何だろう…この感じ…
寂しさ…?

「…じゃあ、賭けをしませんか…? もし俺が…私が貴方の事を忘れなかったら…貴方の元で働かせてください」

それは、人殺しになるという事である。 それを承知で、男は彼に提案した。
彼は、悩む事無くそれを了承した。 当然である。

彼にとっては、男が覚えている事など決してあり得ない事だったからだ。

そうして男は…私は、彼と、あの方と賭けをした。
そしてー

ゴッ ゴッ

明かりの無い薄暗い廊下、その壁の途中にある木製のドアの前に立ち、ノックをする。
その音の低さと重さから、この扉の厚さが察せられる。

奥から小さく「入れ」と聞こえる。
ドアを開け、頭を下げて室内に入る。

視界に入る真っ赤な絨毯。 視線を上げていくと、左側に本がぎっしり詰まった書棚、大きなプラズマテレビ、右側に観葉植物と西洋甲冑のようなものが目に入る。
そして正面、大きなデスクに、彼が、私の主が腰を落ち着かせていた。

プラズマテレビに視線を向けると、今巷で流行っている探偵ドラマが映し出されていた。 世界的な銀幕俳優が出演しているものだ。

「御くつろぎの所、申し訳御座いません」
「構わぬ」

画面は停止していた。 どうやら録画したものを観賞されていたようだ。

石動 鷹継(いするぎ たかつぐ)、只今戻りました」

私の言葉に、主は小さな息を漏らす。

「石動よ、わしの名を言ってみろ」

「は。 鬼頭ー


「虎伯(こはく)様です。」

先程とは明らかに違う、深い溜息。

「一ヶ月もわしから離れていて、何故貴様はわしの事を忘れぬのだ…」

それは、私にとって、最も嬉しい一言であった。
「恐れ入ります」
「褒めとらん。」



よもや、自分の事を忘れぬものがいるとは、虎伯は思ってもみなかった。
彼が鬼種だから、という訳でもない。 実際虎伯はこれまで、石動以外の鬼種にも会って来ている。 そして、例外なく忘れ去られてきた。 一体何がどうなっておるのやら…。

まぁ、それはこの際置いておくとして…だ。
「にしても石動よ、貴様にしては随分と時間がかかったな」

「は。 申し訳ありません。 対象人物の周りを、私が担当する殺し屋が一人うろついておりましたゆえ。」
「…殺し屋!? 対象の命を狙っておるのか…?」
「いえ。 むしろ護衛をしていると言った方が正確かと存じます。」
「護衛!!? 対象は命を狙われておるのか…!?」
「いえ。 一言で申しますと『ついていない』のです。 頭に空き缶が飛んでくる、サッカーボールが飛んでくる、ドブにはまる、乗った車のタイヤがパンクする、ファミレスの店員にジュースをひっくり返される、ソフトクリームのクリーム部分に飛んできた買い物袋が当たる、あとカラスに襲われておりました。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

虎伯は一呼吸置いた。

「で、その殺し屋が護衛をしていると?」
「は。 影から密かに缶やボールを狙撃銃で打ち抜き、カラスには威嚇射撃を行っておりました。」

虎伯がデスクに備え付けられたパソコンモニターを開くと、石動が携帯でデータを転送した。
画面に、眼帯の狼獣人が表示される。

「ナギ…ランク・トリプルSからAマイナスに降格…?」
「は。 以前はどのような仕事も関係なく請け負い、達成率、またその手際も見事の一言に尽きましたゆえ最高位のトリプルSとなっておりましたが、ここ最近は仕事を選ぶようになりました。 特に経歴が酷いとされる、いわゆる『悪人殺し』以外全く引き受けなくなりましたゆえ、Aマイナスへと降格となりました。」
「ダブルSに昇格」
「は。」

一言だけ言うと、石動は携帯を僅かに操作した。
と、次の瞬間には画面に表示されているナギのランクの変更が完了していた。 
石動が直接データをいじった訳ではない。 部下に指示を出し、データベース担当がこれを書き換えたのである。
これが今の「ゼブラ」である。 石動が作り上げた、完全に統制された「組織」。 トップによる僅かな指示で瞬時に全てが動く、まさに「獣の群れ」であった。
その手腕に、虎伯は舌を巻くばかりである。

「では、報告を聞かせてもらおうか」
「は。」

虎伯のいわゆる「本題」に短く返事を返すと、石動は背広のポケットより数枚の写真を取り出し、手品師のようにスラッと虎伯の前にそれらを並べた。

「申し訳ありません。 一月要して、僅かに13枚しか御用意出来ませんでした。 如何様な処分もお受けいたします。」

デスクに並べられた写真は、どれも見事に対象人物を近距離で撮影していた。 表情から毛並みまで、ハッキリしっかりと確認できる。 望遠で撮っているにしても見事の一言である。 何の文句の付け様があろう?

「ふむ。 そうだな…今日はこの写真のみで十分であろう。 報告はまた明日にでも聞こう。 ご苦労だったな。 今日はゆっくりと休め」

虎伯の言葉に背筋を真っ直ぐ伸ばすと、そこから綺麗に上半身を折り「ありがとうございます。」と礼を述べると、石動は部屋の入り口に戻り、一礼して扉を開け、退室しようとした。

「待て、石動よ」
「は。 何で御座いましょう」

これだけの働きをしてくれたのだ。 もっと褒美を出しても良かろう…

「今夜は好きなホテルを用意しておけ。 ベッドが大きな部屋が良かろうな?」

いつも全く表情を変えない、冷静で有能な男が返事に困っている。 顔が赤いのが見て取れた。
僅かばかり、悪戯心に火が点く。

「貴様が気持ち良いと思う事を存分にしてやろう。 必要なものがあれば用意しておくのだぞ」
「……は。 では…失礼致します。」

普段からは想像もつかないほど赤面して、石動は部屋を後にした。

フッと微笑むと、虎伯はテレビの一時停止を解いた。
画面が動き出す。 主役の銀幕俳優が木刀で見事な殺陣を演じていた。

鉄志のヤツ、見事な演技をするようになったわい…」

関心が引かれたのは、まさしくこのドラマからである。
それまでは、映画ですかした演技しかしていなかった息子が、急にテレビドラマなぞに出て、しかも以前より格段良い演技をしていたのだ。
調べを進めると、どうやら親子関係で何かあったらしい。
特に関心を持っていなかった「対象人物」、しかし、息子を大きく変えたその存在に関心を引かれ、最も信頼できる男に素行調査を依頼した。

デスクに並ぶ写真を数枚手に取り、そこに写っている人物、実の孫に当たる大河原虎鉄に視線を置く。

「虎鉄…」
「虎鉄…くん…」
「虎鉄…ちゃん……」

「失礼します総裁、一つご報告を忘れておりました。」

「こてつたん…」


「かぁわいぃいのぉおおおお〜!!!!!」
ぎゅるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるー!!!!

「あぁ〜!! もう!!! なんて可愛いんじゃい、この子はっ!! 名前もなんかわしにちょっと似てるじゃ〜ん、鉄志めっ☆ わしの事なんぞ覚えとらん筈なのに、憂いヤツじゃのうー!! しかもこの子、何この鬼牙!!? わしとそっくりじゃん!! わしとそっくりじゃーん!!!!! しかももっふもふ!! あ〜ん、こんな所までわしそっくり!!! いやー! もう、抱っこしたい!!! ぎゅってしたい〜!!! きゃ〜、こてつたん!! 好き好き大好き〜!!!!! もうちゅっちゅっ!!! ほ〜れ、おじいちゃんももっふもふじゃよ〜! すりすり〜!!!」


「…石動よ、いつから居った?」
「は。 こてつたんかわいいのうからで御座います。」

「・・・・・・・・・・なあ、石動よ。」
「は。」
「今回こそは、忘れるであろうな?」
「は。 忘れません。 未来永劫。」

「…お前には本当に言葉もないわい。」
「恐れ入ります。」
「褒めとらん…」


おしまい


「で石動よー! 報告忘れとは何じゃ〜い!!?」
首絞めぎゅー

「は。 近々対象人物…こてつたん?が御家族で御旅行を企画されているようなのですが、総裁さえ宜しければ今後も調査を続行いたしまして、日取りなどをご報告いたしますが如何致しましょう。」

「絶対わしも行ってやる〜!!!」


この家族旅行、どうなったかはまた別のお話で(笑)

inserted by FC2 system