メンバーの中でも体毛が多い虎鉄と虎伯に全員でドライヤーの集中砲火を浴びせ、ようやくフカフカに乾いた二人。 温泉から先程の大部屋への帰り道は少し遠回りをして、旅館内をぐるっと見てまわらせてもらうこととした。

宴会用の大部屋の襖が立ち並び、反対側には中庭が綺麗に形作られていた。
この旅館は地元でもかなり有名だし繁盛しているという話だが、何と言うか、嫌味な小洒落た感じが一切ない。 中庭にしても、池に大きめの岩に松と至って作りはシンプルで、かつ綺麗に手入れが行き届いていて何とも落ち着く。 双子が手入れをした見事な庭とは方向性が違うが、虎鉄はどちらも同じくらい好きである。
何となく、大輔の母親の性格が出ているような気がして、少し笑顔がこぼれた。

少し進むと、個室が立ち並ぶ区画へと出た。
こちらは流石に襖というわけにもいかず、鍵がついた洋部屋の戸が立ち並んでいた。
その一角に、一同は奇妙なものを見つけた。

廊下の一角が壁側にくぼんでおり、そこに腰ぐらいまでの高さの台が設置されていた。 台の上にクリアケースが付けられている、よく歴史資料館などで見かけるような代物で、中には古びた本が一冊飾られていた。
虎鉄が近づいてその本に書かれた文字を読もうとしたが、達筆すぎて全く読めない。
かろうじて「神」「伝」だけが読み取れた。
資料館なんかであればこういった展示物の周りにそれを説明する文章が書かれているのであろうが、ここにはそういったものが一切ない。 「?」マークのまま大輔を見ると

「それはね、この旅館の…なんて言えばいいのかな、繁盛の神様? そんな感じの本だね」

と、思いがけない不思議な答えが返ってきた。
よくわからず困り顔の虎鉄に、大輔がその展示台に近づいて話し始めた。

「これはね、ここの旅館を最初に建てた人、つまり俺や母さんのだいぶ前の人…ひいひいひいひいじいちゃんくらい? その人が書いた本なんだって」
指折りながら説明する。
「タイトルは『堕神伝承(おちがみでんしょう)』って書かれてるんだってさ」

「…おちがみ?」
「そ。 堕落の神様って書いて『堕神』って読むの」

その説明を聞いて、こたつに寝っ転がりながらせんべいをボリボリ食べつつ漫画を読む源司さんを想像して、思わずプッと笑ってしまう。

「何?」
笑顔の大輔にハハハと手を横に振る。 続きを促すと
「何か当時のこの旅館であった出来事を書いた本なんだって。 で、これを書いてから随分とここが繁盛したみたいで。 いわゆる縁担ぎなんだろうね、それからずっとこうして飾ってあるみたい。」
そう説明してくれた。

改めて本を見ると、紙は随分と長い時を刻んだらしく、完全に茶色く色あせていた。 一枚一枚の紙を綴じ紐で綴じて一冊の本としている。 紙の端なんて破けたりガサガサになってても良さそうなものだが、余程大切にされているのであろう、ピンと貼って綺麗なものだ。

…まぁ先程から気付いてはいたのだが、自分の後方から聞こえてきていた荒い息遣いがますます荒くなっている。 その正体も理由もわかっている虎鉄は、ちらりと後ろに視線を向ける。 と、案の定ー


にろさんがハァハァしていた。

「駄目ですよ、にろさん。 話に聞いた通り、この旅館にとって大切な本みたいですし。」
「し…しかしだな…」

「どしたの、にろさん?」
ひそひそ話をする二人に大輔が疑問を投げかける。

「えとね、にろさんって活字中毒とまでは行かないのかもだけど、とにかく本がめちゃめちゃ好きでね。 特に昔の人が書いた文献とかに目が無いんだよ。 大学生の頃は歴学を専攻してたらしくて、全国のこういう文献類を読み漁ってたんだって。」
へぇ〜、と大輔が感心すると
「な、何とかならんかな…」
いつものにろさんからは想像もつかないような細々とした声で訴えてきた。 そう頼み込む間も、視線はずっとその本に釘付けである。 虎鉄が諦めるように言おうとすると

「じゃ、ちょっと待ってて〜」
そう軽く言うと、大輔はドタドタと奥の方へと駆けて行った。
キョトンとするにろさん。 期待と不安の混じった表情のまま待つこと数分、再びドタドタと戻ってきた大輔は、手に小さな鍵を持っていた。
「母さん、良いってさー!」

満面の笑顔になって大喜びのにろさん!! 急にあたふたし始める。
「ゴム手袋…は無いし、タオル! タオルを使えばいいかな!?」
「?」の大輔。 どうやら指紋や手の脂がつかないようにと考えているらしい。

「あぁ、別にいいよ〜。 折ったり破ったりしなければ平気だから」
そう言いながらケースの鍵を開けると

「ありがとう!! 大輔君…!!!!」
いきなりの熱き抱擁!! ぎゅうううううううううううううううう!!!

「気をつけてね大ちゃん、にろさんってインテリキャラのクセに馬鹿力だから。」

ようやく開放されゼェゼェ言ってる大輔を落ち着かせると、全員に大部屋へ戻るよう虎鉄が促した。
「大河原、にろさん待たなくていいのか?」
「あぁ、ああなるとにろさん、暫くは全く動かなくなるから。 何言っても脊髄反射でしか返事しないし。」

「…脊髄反射?」

「そ。 いい? にろさーん! 先行ってるよー!!

「ん…。」
虎鉄の大声にも全くピクリともせず、小さく一言だけ返してきた。
見ると、直立不動のまま本に見入っている。 書かれている文章の内容だけでなく、その文字自体にも興味があるらしく、至近距離で食い入るように本を見ている。
あれは確かに目が悪くなりそうだ。

「多分今近づいて後ろからパンツ脱がしても全く無反応だと思うよ?」
「…いや、流石にそれは反応するだろ?」
新郷の言葉に「まだまだだね」のリアクションをすると、虎鉄は取っておきのセリフを口にした!

「にろさーん! 父さんがにろさんとエッチしてみたいってー!!!」
これは流石にどうか!?とにろさんに注目が集まる! が、
「ん…。」
どうやら本物らしかった。

「虎鉄…」

サーッ
「す…すいません、父さん。 調子こきました。 ゴメンナサイ、冗談です。」

「…そうか。 冗談だったのか。 虎鉄が望むのなら、隼人君との再婚もまた良しと思ったのだが」

「や、やめて下さいよ!! ドキドキするじゃないですか!!!(ハァハァ)」
「フフ…冗談だよ。」

焦る虎鉄に微かな笑みをたたえて返すパパ。
父さんの冗談…わかりにくっ!!!

大部屋に戻ろうとしたとき、虎鉄はふと不思議な表情に気がついた。
「虎伯さん、あの本?」
短い虎鉄の質問も、虎伯を驚かせるには十分であった。
「い、いや…あの」

「私共も様々な土地を渡っておりまして民間伝承などには造詣も深いと自負いたしておりますが、『堕神』という名称には聞き覚えがございませんでした故、少々驚いてございます。」
すかさず鷹継がフォローを入れた。
へぇ〜、と虎鉄が言うと「じゃぁあの鍵開けておくんで、後で読んでみたらどうですか?」と大輔が続けた。
「それなら後でにろさんに訊いた方が早くない?」
「はは、そうじゃの。 ではそうしようかの。」
虎伯も余裕を取り戻し、一緒に笑いながら歩き始めた。
皆の声が遠ざかるのも気にせず、一心不乱に読み進めるにろさん。

「…何だ…この本…?」


大部屋に戻り、少し皆でくつろいでいると大輔が立ち上がった。
「じゃ、そろそろ夕飯の用意しようか。」

「そうか、わしらで用意せねばならんのか」
「そっか、自分達で用意していいんだ!」

二人同時に真逆のことを言い、虎伯が思わず真っ赤になってしまった。
「ハハ、虎伯さんの反応の方が普通じゃないかな? こてっちゃんは料理得意なんだもんね」
虎鉄が頭を掻きながらエヘヘと笑うと、皆で夕飯のメニュー決めに入った。
「さっき浴衣探しに行った時見てきたけど、材料色々あるから多分大抵のものは作れるよ〜」
そう言った大輔が真っ先に口にした「ビフテキ」を全員一致で却下し、結果「刺身の盛合せ」「鶏団子鍋」「色々盛りつけたオードブル」の3点(?)で決まった。

「じゃあ、料理出来る人、手伝ってー!」
大輔の言葉に真っ先に立ち上がったのは、大喜びの虎鉄である。
パパが一瞬ピクッとしたが、息子の料理は独創性が強いなどというマイナスイメージになりかねない言葉はすぐに飲み込むこととした。 まぁ主導権を大輔君が握っている限り、そうわからないものは出来上がらないだろうとも踏んでいた。

「俺も手伝おう」
次に立ち上がったのは新郷だ。
「お! 新郷、料理出来るんだ!」
「いや、皮むきや下ごしらえくらいだが、妹の料理の手伝いで」
「十分十分!! じゃ、新郷君と俺とこてっちゃんと…」

「私も多少なりと心得がございます。」
最後に立ち上がったのは鷹継である。
「やっぱり!! 鷹継さんはお料理出来ると思ったんだー!!」
「は。 ご期待に添えまして、私も嬉しく存じます。」
腕にナプキンをかけた執事のポーズを取って鷹継が礼をすると、料理組全員が笑った。

ていうか…
「見事に分かれましたねぇ…」



「年長組と、そうでない組に」

落ち込む二人に
「ほ、ほら…昔の方々は料理は女性の仕事とか、そういうご時世というか、な?」
新郷が慌ててフォローに入る。
「あ、でも鷹継さんは『年長組』か」
虎鉄の言葉に
「いえ。 どちらかというと虎鉄様と近い世代に入ります。」
「え!? 今お幾つですか?」
「38にございます。」
鷹継が表情ひとつ変えずに答えた。 
幸志朗さんと同い年!? そういえばなんかちょっと似てる気がする。

どうやら目に光が入らない世代らしい(笑)

「にろさんは? 料理出来そうだけど、待ってようか?」
大輔の言葉に、虎鉄が首をブンブン横に振る!

「無い無い!! この中でにろさんが一番無い!! あの人、家事全般が全く駄目!!」
「そうなの? 几帳面そうだけど」
「前は月イチで掃除に行ってたんだけど、もう追いつかないの!! 今は2週間に一回掃除に行ってるんだけど、もうゴミの山、本の山、洗濯物の山!!! 料理は出来ない片付けられない、そのくせこまめに着替えるでもういっちばん面倒くさいタイプだよ!!」

「こ〜て〜つ〜…」


うわぁあああ!!!

「よくも義兄さんの前で俺の恥ずかしい私生活を〜…!!!」

にろさんの怒りを買った事は、結果として良い方向へと転んだ。
ご機嫌を取るために、虎鉄は新郷と担当したオードブルをにろさんの好物で固める結果となったのだ。 玉子焼き、唐揚げ、ポテト、チクワの磯辺揚げ、白身魚のフリッターと、虎鉄の本来の料理の上手さが出せるメニューばかりだったため、全員が非常に満足出来る代物と相成った。 
大輔が担当した刺身も、見た目も美しく味も絶品。 鷹継が作った鶏団子鍋も大量の白菜に鶏の旨みが染み込み、薄口のだし汁と相まってこれまた非常に美味しかった。
にろさんもすっかり機嫌を直し、口いっぱいに大好物をほおばっていた。

が、虎鉄が用意した味噌汁の中から魚肉ソーセージが現れたときには、全員が息を飲んだ。


「そういえばさっきの本、どんな内容だったんですか?」
殆どの料理をたいらげ、のんびりした空気が流れてきたところで虎鉄がにろさんに問いかけた。

「…う〜ん、何だか変わった内容だったなぁ」
少し考えながら、にろさんが口にした。
「あれは伝承もの、つまり大輔君が言ってたような『昔あった出来事を書いたもの』ではなく、空想で書いたもの、小説と言った方が近いだろうなぁ」
「え? そうなの?」
大輔が少し驚く。
「うむ。 でなければ辻褄が合わない内容だったからな」
「どんなですか?」
「うん、かいつまんで話をするとだなー」


そこに、地元の者達が利用する小さな温泉宿があった
こぢんまりと経営していたその宿に、ある日事件が起こった
土地神様が、その温泉を利用しようとやってきたのだ

宿の主はたいそう驚き、湯に入っている全員にその事を伝えた
のんびり湯に浸かっていたものは皆飛び上がり、体もろくに拭かぬまま宿を飛び出した


ここでひとしきり笑いが起こったが、虎鉄は何故かキョトンとしていた。
「あれ、虎鉄、面白くなかったか?」
「…え、だってそれ、失礼じゃないですか?」
「…失礼? 何がじゃね?」

「うーん…だって、神様が入って来て皆出て行ったら、何か避けられてるみたいで気分悪くないですか、神様?」
「そ…そうかの? 普通は神様と一緒に湯に浸かる方が恐れ多いというか、そんな気分になるんではないかの…?」
「ハハ、虎鉄、お前この話の主人公になれるぞ」
「? どういう事です?」
にろさんが笑いながら続きを話した。


土地神様が浴場に入ると、一人だけ、地元の青年が残っていた
その事に一番驚いたのは、土地神様自身であった
キョトンとしていると、青年が声をかけてきた

湯船に入る前に、体を洗わないと駄目ですよ?

土地神様はたいそう驚いたが、同時にとても嬉しかった
自分を普通の相手として話しかけてもらえたことが、とても嬉しかった
二人で湯船に浸かり、沢山の話をした

それ以降、土地神様はよくこの宿を訪れるようになり、皆必ず逃げ出してしまうものの、その青年だけはいつもそこにいてくれて、土地神様と楽しそうに話をしていた

そして、その土地神様は
青年に   恋をした


今度は虎鉄一人だけがキャーっと頬を染めて騒ぎ、皆はキョトンとしていた。
「え? 土地神様って女性…? じゃないですよね。 男湯入ってますよね…え?」
新郷が当然の疑問を投げかける。 そう、この話は同性愛の話なのだ。
虎伯の寂しそうな表情が少し気になりつつ、にろさんは再び話を続けた。


ある日を境に、土地神様は一切その宿に姿を見せなくなった
皆慌てふためいて湯を飛び出すことが無くなるも、少し寂しくも思えた
青年も寂しく思ったが、しかし、何故か毎日この温泉は笑顔に満ちるようになっていた

一人の見知らぬ獣人が楽しそうに皆と話をするのが、青年を、周りの者達を、自然と笑顔にさせていた

神様には神様だけの掟があるそうだ
それを破ると、神様は神様ではなくなるという
神様でなくなった神様は、誰にも覚えてもらえなくなり、記憶も、記録も、何もこの世に残らないという
神様でなくなった神様を 「堕神様」と呼ぶのだそうだ

何かの掟を破ってしまい堕神様となってしまったその土地神様は、宿に来なくなったのでは無かった
毎日のように宿に来ているのだが、誰にも覚えてもらえなかったのだ
一人の見知らぬ獣人は、かつての土地神様であった

今日も宿には笑いが木霊する
その笑い声を、少し寂しく感じる

これは、好きになった相手に覚えてもらえないものの物語
これは、好きになった相手を覚えていられないものの物語


「とまぁ、こんな話…って虎鉄!? 泣くなよ!!
見ると、虎鉄が目をウルウルさせていた。
「だって…だって…可哀想じゃないですか…。 神様も、その青年も…」
「だから、実際にあった話じゃなくて、空想だから」

「そう、そこ。 何で今の話が空想なの? 俺、確かに実際あった話だって聞いたけど」

大輔が少し身を乗り出してにろさんに疑問を投げかける。 にろさんは腕を組み、少し考えるように顎をさする。
「それだと辻褄が合わない。 いいかい? 堕神様の事は誰にも覚えられないし、記録も残らないとある。 ならこの本自体ありえない。」

「…そうか! これを書いた大輔さんのご先祖様がこのことを覚えているのもおかしいし、話が本当なら本自体存在しなくなるんですね?」
「そう、新郷君の言った通り。 まぁこれが実際あった話だとして、宿主がどこで神様に掟があるとか堕神様という名前とかを知ったのか、そこから疑問だらけなのだがね」

そっかー、と大輔が何だか少し残念そうな顔をする。 本人はその話が実話だと思っていたので、この温泉がてっきり神様が利用してくれた温泉なのだとばかり思っていたからだ。

「それにしても」
と、虎伯が口を開いた。

「何と言うか、ぼんやりした話じゃの。 上手く言えんが…」
「あぁ、わかりますよ。 俺も読んでいてそう感じました。 この話、登場人物の名前が一切出てこないんですね。 それに、『私』や『自分』というような主格が一切ない。 誰の視点なのかが全くわからず、ぼんやりした印象を受けるんですね。 大輔君の話ならこの『宿主』が書いた本人のハズなのですが、登場人物として出てきてますし」
「あるいはー」
いきなり口を開いたのは鷹継である。

「あるいはそれはやはり実話で、そういった手法だからこそ、その本だけは消えずに済んだのかも知れません。 宿の主もたまたま記憶が消えずに覚えていられる方で、詳しい話は全てその土地神様自身から聞いたのかも知れませんよ?」
そう言って大輔を見ると、少ししょげていた大輔がパーっと明るくなる!
が、今度は少し落ち着いてきていた虎鉄がまたしょげてきた!!
「む。 あちらを勃てればこちらが勃たず。 虎鉄様と大輔様を同時にお勃てするのはなかなか至難の業にございますな。」
「今、『立てる』を違う字で表現してませんでした!!?」
「流石は虎鉄様! 頭で考えた文字すらお当てになられるとは…この不肖鷹継、感服いたしました!」

「いや、単に発想がエロいだけだろ…?」
にろさんの冷静なツッコミにひとしきり笑うと、パンっと大輔が手を叩いた。
「そんじゃ話も一段落した事だし、ここらで部屋割り決めちゃおっか!」

「…部屋割り?」
「うん! 貸切だから一人一部屋でもいいんだけど、折角だし2,3人で一部屋のほうが色々突っ込んだ話ができたりして面白いでしょ?」

なるほど、と虎鉄が周りを見回す。 何となく修学旅行のノリっぽい。
新郷もつられて周りを見回していると、ふと熱い視線に気がついた。

恐る恐る視線の主に目をやると、案の定鷹継であった!

そして…



ぁぁぁぁあああああああああ!!!

慌てふためき周りを見回す!! そして遂に、ターゲット・ロックオン!!!
「(大輔さん!! 俺と一緒になりませんか!!?)」
「え? 俺?」
「(はい!! ほら、周りを見回して下さい!!)」
ヒソヒソ声の新郷君に疑問を抱きながら周りを見て、あぁなるほどと大輔なりに納得した。

「じゃあ、俺と新郷君が同じ部屋になりまーす!」
「え? 新郷と大ちゃん? 何かすごい意外な組み合わせだね」
「ふふ…わかってないなぁ、こてっちゃん!! この中で俺と疎遠なのって言えばダブルイスルギズか新郷君じゃない! ダブルイスルギズはそっち方面の方々だからあれだけど、新郷君は全くそのケが無しの人でしょ? そういう人に見られるのこそ興奮するんだよねぇ!! あぁ、今夜は一晩中電気を消すことも許されず、俺の恥ずかしい姿やあられもない姿、はたまたあんな瞬間まで見られちゃうのかも知れないよ!!? あまつさえそんなシーンを写メられちゃったりしたら…考えただけでゾッとするよ!!!

台詞とは裏腹に大興奮の大ちゃん。
そうか、俺は一晩中灯を消すことさえ許されず、この筋肉モリモリのお兄さんのあられもない姿を見せつけられ、最終的には写メを撮らざるをえない状況にまで追い込まれるわけか…
今夜の自分の未来を垣間見、完全に真っ白になる新郷君であった。

新郷君、こちらの世界ではそれを「ご褒美」と言うのだよ…?(笑)

さて、新郷君にフラれてしまった鷹継さん。 再び残った面子を見回し
「では、私は隼人様と同室を希望いたします。」
と、意外な提案をした。
「あり? 鷹継さんはてっきり虎伯さんと同室を普通に希望するのかと…」
「は。 私も初めてお会い致しました同族同士、隼人様と積もるお話もございますれば。」

あ、なるほど! 新郷と大ちゃんを除いたメンバーを見てみれば、綺麗に二種族で構成されている。 そういう部屋割りもありかも知れない。
「じゃあ、虎伯さんは自分と父さんと同室でいいですか?」
にっこり笑う虎鉄に、虎伯は顔が真赤になってしまう。

「良いのかね…? せっかくの家族旅行じゃし、お父上と二人っきりの方が良いじゃろ…?」
「逆ですよ。 せっかくお会いした虎獣人同士ですもん、こんな機会ないじゃないですか。 ね、父さん?」
「うむ。 私も一向に構いません。 何より息子が喜んでおりますから。」

「そ…そうかね…」
「じゃあ三人で川の字で寝ましょうね!」
「う…うむ」

ますます真っ赤になりながら小さく頷くと、ふと部下の顔を見てみる。
鷹継はいつもと変わらぬ無表情である。 だが、一瞬少しだけ微笑んだ気がした。

まさか…ここまで見越して新郷君を「好みだ」などと言ったのであろうか…
親子三人を同室にせんがために…?

…本当に、小憎らしい男じゃわい…

それぞれの部屋も決まり、ドアの鍵もそれぞれ受け取る。
と、ここで虎鉄が急にモジモジしだした。 

「どうした、大河原? トイレか?」
「い、いや…その…折角の機会だから、自分と鷹継さんでちょっとだけ部屋でお話させてもらってもいいかな…?」
顔を真赤にしながら鷹継を伺い見ると、鷹継は少しだけ口元をほころばせOKのサインを出した。
「なるほどなるほど!! うん、いいんじゃない? こてっちゃん奥手だから、そんな機会も無かったもんねー!」
ニコニコ顔の大輔に、もう〜!と虎鉄が恥ずかしそうに頬を染めながら顔をしかめる。 だが、こういう時に喜んで送り出してくれる大輔の優しさが、やはり虎鉄には嬉しかった。

大部屋から二人が出て行き、シタッと襖が閉まって数分。
「そうだ! 俺らは卓球でもどう?」
「あ! あるんですね、卓球台! いいですね、やりましょう!!」
大輔のあっけらかんとした提案に、このまま大部屋で二人の帰りを待つのもどうかと思っていた新郷が賛同した。
結局皆で卓球をすることになったのだが、まぁ…気付いてはいたけど…
「大河原のおじさん、次、おじさんのサーブですよ…?」
パパは完全に呆けてしまっていた。

「…かんわ…」
「…え?」
消え入りそうな声が僅かに聞こえ、新郷が聞き返すと

「二人が今頃どんな玉のいじくり合いをしているのか…それを思うと…こ、こんな!」


「こんな玉遊びなぞ手につかんわ!!!!!」

えぇ〜!? ここでまさかの下ネタ!!!?

超絶心配性のパパを筆頭に、実は気が気でなかったにろさんと虎伯じいちゃんもズンズンと二人が向かった先へと歩を進めていく!
好きな相手なら男だろうと特にエッチすることも構わないと思っていたにろさんも、鷹継になら安心して任せられると思っていた虎伯も、いざ目の前で、且つ目が届かないところで虎鉄がエロい目に遭う事が、こんなにも自分達を動揺させるなどとは思ってもみなかった!
二人の間を邪魔しちゃ悪いと言う大輔と新郷の制止など聞く耳持たぬである! 

これが仲間と保護者の違いなのだろう(笑)

二人が向かった「にろ鷹部屋」の前でピタリと止まった。
他に客がいない、静まり返った旅館である。 自分達が息を殺せば、僅かだが中の声が聞こえてくる。 アワアワ言う大輔に「シーッ!!!」と三人が尋常ではない眼差しを向ける! これには大輔も新郷も、流石に参った。

(え…ほ、ほんとうにみちゃっていいんですか…?)

何かエロワード聞こえてきた!!!
三人が一気に耳に意識を集中する!!

(おなじしゅこうのものどうし、はずかしがることはございません。 さぁ、どうぞてにとってごらんください)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(お…おもってたよりずっとあついんですね…)

何が熱いと言うんだ!!!?

(え…!? そ、そんないきなり…!?)
(わたくしなりのさーびすにございます。)

どんなサービスを!!!?

(もうこんなにでてるんですか…!? す、すごい…はやい…)
(おはずかしい。)

「(は、恥ずかしがっているではないか!!? 恥ずかしがることはないと言っておきながら…!!)」
「(落ち着いて下さい、義兄さん!! 突っ込むべき所はそこではありません!!)」
「いや、そもそも皆落ち着いてよ。 きっとコレ、こてっちゃんと鷹継さんで何か違うことやってて、たまたまエロく聞こえてるだけですって」

大輔に促され、全員少し落ち着いて冷静に聞こうとしたその矢先!!

(たかつぐさん…おちんちん…うまいです…)

うわぁあああああああああああああ!!!!!

決定的な台詞でちゃったよ!!!! このタイミングで!!!?

「どどど…どうしよう…」
「義兄さん!! 気を確かに!!!」

「いや、まぁこてっちゃんだってもう立派すぎるくらいの大人なんだから、それくらいは」
「甘い!! 甘いぞ大輔君!!! わしの連れのド変態ぶりは筋金入りじゃ!!! 間違いなく虎鉄君はここで多くの経験を得るとともに多くのものを失うのじゃ…!!!」
「あぁあああ…虎鉄が…私の虎鉄が私の知らない虎鉄になっていくぅううう!!! そして! あぁ、そして…!! 『角なんて無くったって、こんな立派な角があるじゃないですか』とかお澄まし顔で言っちゃうようになるんだぁあああ…!!!」
「大輔君!!! 急いでマスターキーを持ってくるのだ!!!! さもなくば、このドアノブ…俺が全力でねじ切らせてもらうぞ!!!!!

こてっちゃん、大変だなぁ…

「新郷君…」
「…はい…?」

「後は任せたよー!!!」

「えぇええええええええええええええええええ!!!!?」

新郷にすべてを託し、ダッシュでマスターキーを取りに行った大輔!!
アワアワしながらも、とりあえず皆をなだめすかし落ち着かせようとする新郷!!

が、新郷の話術程度でなんとかなるものではなく、にろさんが今にもドアノブをねじ切ろうとしている!!! うわぁあああ!!!! 駄目駄目駄目駄目駄目駄目ー!!!!!
にろさんのぶっとい二の腕にがっしりとしがみつきながらも、もう駄目だと諦めかけたその時!! 遠くから大輔の、例のドタドタした足音が近づいてきた!!!
かなりの距離からエイッ!!と何かを放り投げる!! が、コントロールがイマイチで全員の頭の上数十センチを飛び越えて行く!!!

かと思われたその時!!

パパが華麗にジャンプして見事にキャッチ!!!!!
こんな時でも思わずその姿に見とれてしまうにろ&新郷!!(笑)
そのまま流れるような動作でマスターキーを鍵穴に差し込むと、一気に部屋へとなだれ込む!!!

「虎鉄…!! お父さんは…お父さんは…!!」

中の襖をシュパッと開く!!!

「いきなりそんな大胆な行為、許しませ…!!!!!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

パパの後ろからこの光景を目の当たりにしたにろさんが、ようやく事態を把握する。

エロ同人誌………?

素早く先程の会話を脳内変換!!!

「ほんとうにみちゃっていい」→文字通り同人誌を、である!
「おもってたよりずっとあつい」→薄い・厚いの「厚い」だ!!!
「そんないきなり」→多分初っ端からエロシーン炸裂だったのだ!!!!
「わたくしなりのさーびす」→作者は鷹継本人か!!!!!
「こんなにでてる・すごいはやい」→刊行ペースかよ!!!!!?

「おちんちんうまい」→描くのがね!!!!!!?

そのまま自体を把握出来ずに棒立ちのパパと虎伯を玄関へと押し戻し、シタッと襖を閉めて出て行った。
あまりの事に声が出ない虎鉄の肩を、鷹継がポンっと叩く。

「如何です? 私の言ったとおりになったでしょう?」
「…あの人達、本当にマスターキー使って入って来たよ…」
「しかし、これで全ての危険は排除されましてございます。 さぁ!

おもむろに立ち上がり、浴衣をバサっと脱ぎ捨てる!!!
さらに、例の自作革パンも脱いでしまい、仰向けに寝っ転がる!!!!

「さぁ!! 虎鉄様の思うまま、私の体を弄び尽くして下さい!!!」

ギャァアアアアアアアアス!!!!!

この後の展開を予想してか、鷹継のおちんちんは既に隆々と天を突いている!!
遂に…!! そう、遂に…!!!

虎鉄、大人の階段を登る!!!!!(笑)

かと思われたが、鷹継がいくら待ってもおちんちんはおろか、体のどこにも虎鉄の手の感触が一向に来ない。
不思議に思い、起き上がってみると…

虎鉄が失血死しかけていた。


虎鉄が落ち着いてから二人で他の皆がいる卓球場へ向かうと、先程部屋に乗り込んできた三人組がピクッと反応した。 皆、あのにろさんでさえ気まずいらしく、ぎこちなくピンポンしていた。
多量の出血(鼻血)でいい具合に頭に登っていた血が抜けた虎鉄は、クスッと笑うと腕まくりをして声をあげた。

「ほらほら皆! 駄目ですよそんなんじゃ!! 温泉の卓球といえば、浴衣が肌蹴るくらい必死にやるもんです!!! ほら、父さん!! やりますよ!!!」
「…虎鉄…」
「では私は、虎伯様、ご一緒頂けますか?」
「う…うむ。」
「じゃあにろさんは新郷か大ちゃんのどっちかと対戦!! 勝った方がもう一人と勝負ね! で、こっちも勝った方が勝負をして、最後に優勝決めましょう!!」
「優勝致しますと、何か賞品はございますか?」

「もちろん!! 優勝者はこの中の誰か一人に何でもお願い出来るのです!!」
一気にまくし立て、虎鉄がにやりと不敵な笑みを漏らす!

「自分が優勝したら、父さんにサインを貰うのです!!!!」

ナニィイイイイイイイイイイイイイイ!!!!?

「バカな!!? 義兄さんはサインをしないのを信条としているのだぞ!!?」
「そうだぞ大河原! 石蔵鉄志のサインは現存するだけでたった3枚!! それを…!?」

「4枚目は俺が頂く!!!!!」

コアファン三人が一気にヒートアップ!!! パパもクスっと笑みを漏らすと
「良かろう! 私からサインを奪えるものなら奪ってみると良い!!!」(カッ!!!)

静かな館内に、驚くほどの音量でピンポン玉が弾かれる音が響きわたる。
最後は全員が、肌蹴るどころかほぼ前を全開にして息を切らしていた(笑)

それぞれの部屋に戻ると、流石に疲れたのか皆布団に倒れ込んだ。
「まさか…鉄志君が優勝するとはのぉ…」
折角温泉に入ってフカフカになったというのに、またぞろ汗だくになってしまった虎伯が笑いながら声を押し出すと
「自分も意外でした…。 父さん、運動神経良かったんですねー!」
虎鉄もハァハァ言いながら賛同した。
「で父さん、鷹継さんに何お願いしたんですか?

そう、卓球大会で優勝した父・鉄志は、意外にも鷹継に声を掛け、何かを書いてもらっていたのだ。

「夕食に食べた鶏団子鍋のレシピだ、あれを細かく書いてもらった」
「鶏団子鍋?」
虎鉄と虎伯が同時に鉄志の顔を見た。 虎鉄を真ん中に川の字で寝ているため、ちょうどふたりとも同時にこちらに顔を向ける形だ。
「いつまでも家事が下手では情けなかろう? 息子に一つくらい自慢出来る手料理が欲しかったのだ。 あの鍋は美味しかったし、そう複雑な料理でもなさそうだったのでな」

「父さん…」
ウルウルとする虎鉄とは真逆に、ガーン!とショックを受けるじいちゃん!!
「わ…わしも何か覚えようかの…」
「あ! そうですね! たまに鷹継さんにお料理作ってあげれば涙を流して喜ぶんじゃないですか!?」

ニッコリして笑う虎鉄。 いや、喜んで欲しいのはあヤツではないんじゃが…。 それに、あヤツなら違う方面の方が喜びそうな気が…。

それからも他愛のない話が続いたが、疲れのせいか、いつの間にか三人共手をつないだまま眠ってしまった。
虎伯にとってそれは、あまりにも夢のようなひとときであった



スッと目を開く。
顔を横に向けると、隼人が上を向いたまま静かに寝息を立てていた。 用心深いこの人も、疲れが出たのかようやく眠ってくれた。
しかし、こうして顔を横に向けて彼の顔を見ているのが少し面白かった。

鬼種は側頭部から角が生えているため、寝るときに横を向けないのだ。
常に仰向けで寝るのが普通である。 角がなくなって、最初に驚いたのがこうして横を向けることだった。

そのまま静かに起き上がると、隼人の寝顔に顔を近づける。 ちょっと困ったような寝顔に思わず少しだけ笑ってしまう。
虎伯は恐らく気付いていたであろう、彼が鷹継の父に少しだけ似ていることに。
昔を想い涙することなどもう無いと思っていたが、その寝顔を見ていると少しだけ目に熱いものがこみ上げてきた。
そのままそっと、彼の唇に己の唇を重ねた。
それが、本当の、彼にとっての父との決別であった。

「どうぞ、お元気で…」

小さくそう言うと、彼が眠る部屋をそっとあとにした。

暗い廊下に出ると、隣の部屋の明かりが漏れていることに気がつく。
どうやら新郷君は本当に灯を消すことを許してもらえなかったようである。
ふっと口元をほころばせると、「もういいかの」と後ろから小さく声が聞こえた。

目を閉じ、ひとつ小さく息を整えると、振り向き、そこに立つ主を真っ直ぐに見る。
「は。」
短く一言だけ答えた。
主に対して「虎伯様は…?」などと質問を返すような男では無かった。
その質問に対する答えなど、わかりきっているのだから…

玄関に出たとき、そっと宿帳を開いてみた。
そこにあるべき名前が一つ、既に消えてしまっていることがわかる。

そう、夢の時間は   もう終わってしまったのだ



おかしな時間に目が覚めた。
寝ぼけ眼と言うわけではない。 ふっと明らかに覚醒した。
バンダナの横に置かれた時計を見ると、まだ5時を少し回った頃である。 こんな時はいきなり足がつったりするのだが、特にそんな気配もなかった。
自分の左隣でスゥスゥと寝ている鉄志を見る。 空いている右手を不意に見つめる。
と、外で戸が閉まる音がした。 隣だろうか?
静かに起き上がり廊下に出てみると、こちらの部屋に入ろうとしていたにろさんとばったり出くわした。

「うわっ!! どうしたんですか?」
「鷹継君がいない。 荷物もだ。」
「え!!?」
「そっちは…?」
「こ…こっちにもいませんよ! そうだ、玄関!! 靴…!!」

短くそう言うが早いか、虎鉄は玄関へと駆け出した!
後を追うにろさん。 だがこの違和感は何だろう…?
「(こっちにも…? こっちじゃ…?)」

玄関を見る。 やはり目標の靴は無くなっていた。
「そんな…ちゃんとお別れ言いたかったのに…」
「いや。 虎鉄…時間!」
「え?」
「この時間なら、まだ始発来てないんじゃないか?」

ハッとにろさんの意図に気づく! そうか、まだ駅にいるかも!!
着替える時間も惜しく、浴衣姿のままスニーカーを履いて駆け出す!
にろさんも「お、おい…!」と言いながらも、そのまま自分もスニーカーをひっかけて後を追う。

来るときは景色に見とれてそうは感じなかったが、いざ走ってみると駅まではかなりの距離である。 だが、足を止めること無く、虎鉄は走り続けた。
虎鉄なら、最後に挨拶がしたいだろうと思い声をかけたものの、ここまで必死になるとは少し予想が甘かった。 虎鉄が心配になって止めようとすると

「いた…!!」
息を乱しながらも、弾かれるように虎鉄が叫んだ!
にろさんも目を凝らす。 まだまだ駅までの距離は遠い、遥か先にぽつんと見えるだけである。 「どこだ…!?」と訊くと、遥か先を指さす!
「ほら! ホーム!!」

ここからホームが見えるのか…!?
目がイイヤツとは知っていたが、まさかここまでハイスペックだったとは…。
「あれ…誰かと一緒にいますよ…? 小柄な…」
「…何…?」

鷹継と一緒にいるその人物は、ふとその景色に想いを馳せ、目をやったようだ。
そこで駅への道を駆けてくる二人に気がついた。 
向こうの視力も半端ないらしい。 虎鉄と、ハッキリと目が合った。
鷹継もこちらに気が付き、深々とお辞儀をしてくれた。
右の方向から始発電車が入って来た。 その電車に一瞬目をやると、再びその人物は虎鉄と視線を合わせた。
トレンチコートとハンティング帽で覆い隠されたその向こうで、彼は優しく微笑んだ。
だが、同時にその瞳は、

とても悲しそうに見えた。

虎鉄の心臓が大きく一つ、鼓動を鳴らした。
このまま行かせちゃ駄目だ
あんな悲しい目のまま  行かせちゃ駄目だ


虎鉄の中で、スイッチが入った

もう間に合わない、そう告げようとしたにろさんの目の前から、一瞬甥っ子が消えた。
ハッと前方を見ると、凄まじい速さで虎鉄は駅へと迫っていた!
身体スペックが飛び抜けているにろさんも、全力で追いかけるが追いつけない!!
二人が電車に乗り込む姿も見ずに、必死の形相で走る虎鉄。
そのまま駅構内に滑り込み、改札口を一気に飛び抜ける!! 
後ろで駅員が何かを叫んでいるが、にろさんが何とかしてくれるだろうと後を任せ、二人がいた辺りの車両を外から探す!

いた!!
窓側の席に、二人が座っていた。
ドアは既に閉まっている。 窓に近づき鷹継の名を呼ぶと、彼は微笑み再び頭を下げた。 それが感謝か謝罪かは上手く判別出来なかった。
一緒にいるもう一人の人物にも目をやる。
先程、確かに微笑みかけてくれたと思ったが、今はハンティング帽を目深に被り、完全に俯いてしまっていた。

声を掛けたい。 声を掛けなきゃ…。
気持ちだけがどんどん募る。 だが、何も言葉が出てこない。

当たり前だ。
自分は、この人の名前も知らない…
何を言えばいいのか分からない

何と呼べばいいのかも  分からない

ファァアアアアアアアアアアアアン

発車の電子音が構内に響きわたる。
虎鉄の想いに関係なく、電車が動き出す。

「ぁ…あの…」
徐々に速度を増し、ホームの終りがもう目の前に迫っていた。

「お…」

「おじいちゃん…!」

ホームを過ぎ、電車が遠ざかっていくも、気にせず虎鉄は叫び続けた

「おじいちゃーん!!」


「またいつかー!! それまでどうかお元気でー!!!」

電車が遠ざかっていく
ホームが  遠ざかっていく

駅が遠く彼方に消え、それでも窓から身を乗り出していた虎伯が、ようやく席に戻り腰をおろした。 
窓を閉め、足元に落ちているハンティング帽を手にとりながら鷹継が口を開いた。

「血が繋がっておらずとも、やはり御兄弟ですね。」
「…何がじゃ」
「虎鉄様です。 大輔様と同じで、急に全く予想もしないところからふと真実にたどり着く。 私の天敵にございます。」
そう言いながら、帽子をそっと差し出す。

「…わしはな」
俯いたままそれを受け取ると、虎伯が小さく呟いた。
「それでもわしはな…堕神は幸せであったと…思うのじゃ」
鷹継は無言で聞いている
「自分が愛した者は自分を覚えてくれんかったが、それでも毎日、変わらず自分を笑顔で迎えてくれたのじゃ。 それが幸せでないなど…あろうはずがなかろう」

受け取った帽子を再び目深に被ろうとして、その中にいつの間にか入れられた白と黒のチェックのハンカチに気がつく。

「…貴様は本当に出来すぎた部下で…」

「本当に小憎らしいわい…」


改札口に戻ると、にろさんが腕組をしてプンプンしていた。
よく考えれば二人とも浴衣姿で飛び出してきたのだ、金など持っていようはずが無い。
「結局旅館に電話して、大輔君に迷惑をかけてしまったではないか」
じろりと見るにろさんに、ハハハと汗をかきながら笑う虎鉄。
フンッと小さく鼻を鳴らすと、再び甥っ子の顔をまじまじと見る。

「なぁ虎鉄、ひとつ訊いていいか?」
「はい?」
「お前昨日、誰と同じ部屋で寝た?

一瞬、何を質問されたのかよくわからなかった。
「え…と。 え? 夜ですか?」
「あぁ。」
「父さんでしょ?」
「他には?」
「他…? あの、何の話ですか…?」

そう、違和感の正体は先ほど確認した。
電話口に出た大輔も、全く覚えていなかったのだ。

彼の事を。    

虎伯の事を。

昨日読んだ本のことを思い出す。
記憶から消える存在。 記録から消える存在。 
だが、唯一残された一冊の本。 誰の名前も記されていない、奇妙な本。

「記憶が…失われるか…。 まさか実際に…なぁ」
「? 昨日のお話ですか?」
「ん? あ、あぁ…まぁな」
「神様の世界にもルールがってヤツでしょ? 源司さん、大丈夫かなぁ? あの方、結構アウトローっぽいし」

いきなり源司さんの名前が出てきて少し驚く。 本当に会話が全く噛みあっていない。
「…まぁ、あの方なら大丈夫だろ?」
「そうですよね。 それに自分に勝手に力を使わないって約束してくれまし…っと!」
「ん? 約束?」
「いやいや!! な、何でも無いです!!」
思わず口が滑ってしまったが、あれは二人だけの秘密のように感じていた。 あまり口外するようなことではないだろう。

もごもごしている虎鉄に、にろさんはやはり全く記憶がないらしいことを確信した。
そして、自分の中の答えにも。

「なぁ、虎鉄。 にんべんに白の『伯』っていう字の意味、知ってるか?」
「伯? 伯父さんとか伯爵の?」
「そうだ。」
「さぁ…?」

「伯にはな、『神様』という意味が含まれているんだ
「へ〜、そうなんですか?」
「つまり、『虎』に『伯』で『虎伯(こはく)』という名前にすると、虎の神様という意味になるんだな」
「へ〜、格好イイですねぇ。 …ん? あれ、ひょっとしてさっきの方、虎伯さんっていうんですか? にろさん知り合い?」
「あぁ、一度だけお会いしたことがある」
「えー!!? もう〜、先に教えてくれればよかったのに〜!!」
「お前が吹っ飛んで行ったからだろう」
「そうですけど! おかげでいきなり『おじいちゃん』とか、すごい失礼な呼び方しちゃったじゃないですか〜」

顔を真っ赤にする虎鉄に、にろさんは再び驚かされた。 これが最後のピースのようだ。

「どうみてもそんなお年じゃなかったですし、絶対気を悪くされましたよ〜」
「お前、自分の祖父については何か知っているか?」
「祖父? 自分の…? さぁ?」

そう、知らない。 知るはずが無い。 恐らく鉄志も、自分の父親について何も知らないのではないだろうか? そして、知らない事に何の疑問も抱かない。 自分も、周りも。
それが神々の、いや、もしかしたらこの世界自体の、見えないルールなのかも知れない。

そしていつの時代にも、そのルールに影響を受けない者がいる。
鷹継がそうであり、あの旅館のかつての宿主がそうであり、そしてー


遠くに旅館が見え始めた。
皆が起きて、門のところで二人の帰りを待っていた。
こちらに気がつくと、全員が大きく手を振って出迎えてくれた。

富士の麓から、眩しい朝日が差し込んでくる。

「お前のじいさんもさ」
「え?」

「お前のじいさんも、きっとどこかでお前の事、見守ってくれてると思うぞ」
「…そう、ですかね…」

遠く、眩しく輝く金色の朝日に照らされ、蒼く澄み渡る空を眺める。

「そうだと  嬉しいなぁ」


虎鉄は、またここへ来たいと思った。

皆で  家族で  トラトラファミリーで

そして皆でこの景色をまた見たい
そう、思い描いたとき、その皆の中に

鷹継と、先程の「虎伯」という名のあの人の姿が自然と入っていたことが



虎鉄は  何だかとても

嬉しかった


「虎鉄と家族と堕神様」


おしまい


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