○ナギさんと秘密のホイル包み○


 ナギは現在、迷っていた。

 精神的に、ではない。 肉体的に、である。
 簡単に言えば『迷子』だ。



 ―以前より予定が入っていた隣町での仕事を終え、バスに揺られて星見町への帰路につくも、ナギは正直焦っていた。

「(早く帰らねば…!)」

 この男、ナギは『殺し屋』である。
 以前、店長には笑って己がそうであると話しているが、アレはマジである。
 
 彼の日課は、星見町の裏参道にあるオープンカフェで、コーヒーを飲むことである。
 が、とある日、彼が飲んでいるコーヒーめがけてサッカーボールがぶっ飛んで来て、彼はコーヒーまみれとなってしまった。
 不機嫌極まりなくなった彼は、ちょうど近くを通りがかった虎獣人の頭のバンダナを借りて(実際には無言で奪い)、それで服を拭いてしまう。
 そのバンダナが、実はその虎獣人・店長の頭のハゲ隠しであることを知ったナギは、そこで生まれて初めて爆笑した。

 そんな一方的かつ迷惑千万なきっかけで二人は知り合ったのだが、その後二人は親しくなり、以降、ナギは店長のことを陰ながら見守るようになった。

 が、いざ見守るようになってみると、この人物の運の悪さは尋常ではなく(自分の件も含め)、特にここ数日は正直笑えたものではなかった。
 空き缶が飛んでくる、野球ボールが飛んでくる、どぶにはまる、乗ったタクシーがパンクする。
 そして昨晩、彼はカラスに襲われていた。 マジかよ……!

 仕事はキャンセルできない。 とにかく早く終えて彼を見守らなければ何が起こるかわからない! そうしてようやく帰路についたわけだが、バス路線では地形上、隣町からは目の前に広がる巨大な森をグルッと迂回しないと星見町には帰れない。
 ジリジリしている彼の目の前を、三羽のカラスが飛んでいったのが良くなかった。


「(!! 奴ら、キバトラ(ナギが付けた店長のあだ名)を襲う気か…!!? 奴らにバンダナを引きちぎられ、唯でさえ剥げた頭をついばまれたら、あいつ、もう二度と笑ってくれないかも知れん!!)」

 次の停留所でバスを降り、一気に眼前の森に突っ込むナギ。

 位置的に考えれば、直線で森を抜ければ星見町住宅街の外れあたりに出るはず。 タクシーを拾えれば先回りできる!
 森には迷わない自信があった。 ナギは『獣寄り(けものより)』で鼻が利くからだ。

 
『獣寄り』とは、獣人の中でも『獣』の特性が強い者達の総称だ。

 通常の人間はもとより、他の獣人達よりも遥かに高い身体能力を有することが殆どで、本来であれば誇れる身体特徴であろう。
 だが、彼ら以外の者達、いわゆる『人寄り』達に『動物に近い存在』『ケダモノ寄り』と呼ばれて軽視、軽蔑、侮蔑の対象とされることが殆どで、そのため己が獣寄りであることを彼らはまず口外しない。 ナギも同様である。


 
この『獣寄り』の能力、ナギの場合は鋭敏な嗅覚であるわけだが、実際はかなり便利なのだが今回はこれが裏目に出た。
 森の匂いが強すぎたのだ。 ナギは逆に方向感覚を失い、完全に道に迷ってしまった。 景色自体もどちらを向いても違いが無く、町の方向がさっぱり判らない。
 おまけに一つ、大問題が発生していた。


おしっこしたい、凄いしたい

 ナギは『立ちション』をしない。
 インテリを気取っている、というのもあるが、やはり問題は『獣寄り』である事だ。 便器などに向かえば問題ないのだが、木や電信柱に向かうとどうしてもアレをしたくなる。 その姿を見られれば、一発で『獣寄り』だとバレてしまうからである。

ともあれ今は森の中、周りに誰かが居るはずもない。 そして膀胱はレッドゾーン


「(…仕方があるまい…)」

迷子、尿意、焦り、それらの全てが彼の認識能力を鈍らせ、誰かが近くに居ることを彼に認識させなかった。


テクテクと森を進む店長。 気持ちの良い昼近く、ソレは突然視界に飛び込んできた。

ナギさんが木にマーキングしてる……


 いつもパリッとしたスーツを着て、渋い姿のナギさん(宴会時ははっちゃけてたがあれは例外)が、下半身丸出しで片足を木にかけ、豪快におしっこをしていらっしゃる。

 頭が真っ白になる店長、目が合った瞬間、あのナギさんが、大粒の汗をかき顔を真っ赤にした。


 ―長い沈黙


 そうして暫くして、店長の口から出た言葉は


「ど、どうも……こんにちは……ナギさん……」

 
何とも間の抜けた挨拶であった。
 そして森には再び長い沈黙が戻ってきたという……


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